甲子園の風BACK NUMBER
「大人と子どもが野球をしているようで…」大阪桐蔭“最強世代”も追い詰め、甲子園で日本一…履正社 “伝説の主将”がぶつかった「社会人野球の壁」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/26 11:08
2019年夏の甲子園を制して優勝旗を受け取る履正社の主将・野口海音。それだけの実績があっても「社会人野球の壁は高かった」という
「このままもしプロに行けなかったとしたら、野球を引退して会社で仕事をすることになります。でも、ずっと現役にこだわってプレーを続けて、いざ辞めて仕事を覚えるとなると、年々大変になっていくんじゃないかなと。それなら早いうちに決断した方がいいと思うようになったんです」
それでも野球はやり切らないといけないと思った。どんな形でもチームに貢献しなければと、代打起用でもそのひと振りに懸けた。
「何て言うんですかね……僕はプロ野球選手を目標にしてずっと野球をやってきました。でも、プロが無理ならば目標がなくなってしまう。それならばきっぱりと野球は辞めようと思って。4年目の終わりに監督さんにその意思表示はしていました」
進退を懸けた「社会人5年目」
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ただ、周囲から言われるのではなく、辞めるタイミングは自分で決めたかった。その意味で5年目である今年が勝負だと思っていた。5年目はドラフトで指名される高卒社会人野球選手のキャリアで見れば限界であることと、大卒で自分と同じ歳の選手が入社してくる。5年目に勝負できなかったら自分に見切りをつけようと思ったのだ。
「自分は大学に行っていないので、この4年、そして5年目がちょうどいい区切り、みたいに思っていました。本当は3年でプロに行けなかったら、そこで野球を辞めようと思ったんです。でも河野がプロに行って、阪神で(井上)広大がプロで頑張っているのを見ると、感化されてもう少し頑張ってみようと思って」
少しいたずらっぽく笑って言葉を並べると、口元をキュッと結び、さらに続ける。
「実際は自分にはプロに行くほどの実力はなかったということです。でもダラダラ野球を続けるのは良くないとも思って。周りの方にも申し訳ないですし、それならば、選手生活はここまでと決めて、それまでは頑張ろうと。今年はそういう気持ちもあったので、1年間本気でやってきたつもりです。最後に日本選手権に出られなかったのは悔しいですけれど、しっかりやり切れたと思っています」