甲子園の風BACK NUMBER
「あれを見て、プロではやっていかれへんと…」あの星稜・奥川恭伸を倒して日本一…履正社“伝説の主将”にプロを諦めさせた「衝撃の強肩」の持ち主
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Hideki Sugiyama
posted2024/12/26 11:07
3球団競合の末、ヤクルトに入団した世代No.1投手・奥川恭伸を撃破して日本一に輝いた履正社の主将・野口海音。それでもプロには進まなかったワケは?
翌日から始動した新チームで、野口は主将に任命された。
「すぐには切り替えられなかったですね。グラウンドでは切り替えているようなそぶりを見せましたけど、実際は全然。ただ、キャプテンになった以上はもう負けられないという思いだけはありました」
激戦の余韻が身体にしばらく残っていた。それでも前は見なければならない。自身を必死に奮い立たせながら、灼熱のグラウンドでリスタートを切った。
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ただ、今だから思えることがある。
「あの試合でもし勝っていたら、(翌夏の)甲子園で優勝はできていなかったんじゃないかって思うんです。1年生の時も桐蔭に負けましたけど、世間の評価通りというか、何かこう力の差通りだったようなものも感じて。でも、(2年夏の大阪桐蔭戦は)あと1アウトというより、あと1ストライク取っていれば勝っていましたもんね」
ライバルからの「逆転負け」が生んだ成長
思い返せば返すほど、悔しさは募る一方だった。だからこそ、「次こそは」と心を奮い立たせることができた。野口も後悔の念を押し殺し、チームの“司令塔”として攻守の中心に立った。当時、岡田龍生監督からはこんなことを言われていた。
「『実力で引っ張っていくやつか気持ちで引っ張っていくやつか、キャプテンは2種類いる』と。僕は自分で実力があると思ったことはないので、キャプテンとしてやるべき時は背中で引っ張っていかないといけないって思いました」
1年夏から公式戦を経験しているからこそ伝えられることは多い。それでも野口は当時から自身を冷静に見つめ、丁寧にコメントする姿が印象的だった。経験値があり、何でも言葉にしがちなポジションだが、どんな状況でもじっと背中を見せる。グラウンドで見せるマスク越しの表情もとても柔らかだった。それでもチームメイトが不甲斐ないプレーを見せれば、厳しく叱責することもあった。
秋の大会では府大会で優勝。近畿大会でもベスト4に進出し、翌年春のセンバツ出場切符を手にした。
だが、そのセンバツの初戦で、またとてつもない投手と出会うことになる。