甲子園の風BACK NUMBER
「あれを見て、プロではやっていかれへんと…」あの星稜・奥川恭伸を倒して日本一…履正社“伝説の主将”にプロを諦めさせた「衝撃の強肩」の持ち主
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Hideki Sugiyama
posted2024/12/26 11:07
3球団競合の末、ヤクルトに入団した世代No.1投手・奥川恭伸を撃破して日本一に輝いた履正社の主将・野口海音。それでもプロには進まなかったワケは?
初戦で対戦することになったのは、当時大会ナンバーワン右腕と評判の高かった星稜の奥川恭伸(現ヤクルト)だった。
「センバツの抽選会からグラウンドに帰ってきたら、(奥川投手対策のために)普段は使わないマシンが出されていたんです。その日から150キロくらいにセッティングしてバッティング練習をしていました。でも、試合で実際に見たら全く違うんですよ。スライダーは消えましたし、フォークも見たことのない精度で」
大会初日の第3試合。通常のセンバツ大会なら、観客もまばらになっている時間帯にもかかわらず、この日の甲子園は奥川見たさに4万1000人の観衆で膨れ上がっていた。
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「(1番の桃谷惟吹の打席の2球目で150キロを計測した時は)もう笑うしかなかったです。モモ(桃谷)もベンチに帰ってきた時に“無理、無理”って言っていました」
打線は17個の三振を奪われ、わずか3安打。手も足も出ないまま無得点に封じられた。
「奥川君を打てないと全国では勝てない」
ただ、落ち込む以前に開き直る自分もいた。
「なんかもう、しゃあないなっていうのと、このままじゃダメだという思いが入り混じっていました。でも奥川君を打てないと全国では勝てないことははっきりしました」
夏の大会を前に、多田晃コーチ(現履正社監督)からある提案をされたという。
「チームでスローガンを決めろって言われたんです。みんなで考えて、“日本一”にしようって一旦提出したら“日本一は普通すぎる”って却下されたんです。それで、もう一度考え直したのが“圧倒的日本一”でした」
結果的に、迎えた夏の甲子園はまさに“圧倒的”な結果を残すことになる。
初戦で霞ヶ浦の最速150キロ右腕・鈴木寛人、2回戦では津田学園で140キロ後半のストレートを武器にしていた前佑囲斗(現オリックス)、準決勝では明石商の中森俊介(現ロッテ)ら後にプロで活躍する好投手たちを打ち崩し、決勝ではセンバツで苦杯を舐めた星稜の奥川から11安打を放って5-3で快勝。まさに漫画のようなサクセスストーリーだった。