Number Web MoreBACK NUMBER
巨人・落合vs松井の不仲説「2人が話すのを見たことない」…初対面で19歳松井秀喜がまさかのミス「30分遅刻」、40歳落合博満は何と言った?―2024下半期読まれた記事
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/12/22 06:00
巨人時代の落合博満。写真は巨人3年目の1996年、落合は当時42歳
「(落合さんが)凄いのはボールをバットに当てる技術。そしてその凄さを一番感じるのが、実はファウルを打ったときなんです。(中略)嫌なボールは全部、一塁側にファウルにする。しかもそのファウルを全部、芯で捕らえて打っているのが凄い。そうしてファウルを打つことで、投手との勝負でチャンスをどんどん広げていく。だんだんとピッチャーを追い込んでいって、いつの間にか立場が変わってしまうんです。あれは凄かった」(Number751号)
「イチローと比べると…」松井への批判
今となっては意外に思われるかもしれないが、プロ2年目から3年目あたりの松井は、コンスタントに打率.280~90、20本塁打ほどの成績を残していたものの、入団時に託された「王貞治の55本を超えるホームランバッターに」という期待に応えているとは言い難く、1歳上のイチロー(オリックス)の快進撃と比較して、物足りないと批判する声も多々あった。
淡々とポーカーフェイスでプレーする背番号55 。長嶋茂雄に憧れた落合や、巨人軍のユニフォームを着ることを夢見た原とは違い、もともと阪神ファンだった松井には長嶋巨人に対する過剰な思い入れがなく、そのスタンスが周囲の熱とのギャップとなって現れていたのである。キャスターの宮崎緑との対談で、「巨人の四番っていうのは特別なのでは?」と聞かれた際には、やんわりと否定している。
ADVERTISEMENT
「……うーん。僕自身はそうは受け止めてないんです。いつなるかわかんないですけど、僕が(常時四番を)打つ時も、ジャイアンツの四番はこうでなくてはいけない、というプレッシャーを自分にかけるつもりはないし、僕は僕なりにいければ、と思っているんです」(週刊読売1996年1月21日号)
そんな松井の意識や言動も長嶋監督とのマンツーマンの素振りの特訓や、落合が体現する四番の役割を目の当たりにする中で、徐々に変化していく。いわば、プロとしてさらなる高みを目指す中で、自分に託された使命を受け入れたのである。
2人きりだった「東京ドームの風呂場」
落合と松井はグラウンド上では、同僚選手ですら、ふたりがじっくり話しているのをほとんど見たことがないと振り返る関係性だったが、実は両者には知られざる意外な接点があった。