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「これは勝てんわ…」大谷翔平の焼肉会後に起きた“ある事件”「正直言ってライバル視していた」ドラフト2位の同期選手が悟った“翔平との差”―2024下半期読まれた記事
posted2024/12/21 17:00
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
2024年の期間内(対象:2024年9月~2024年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。大谷翔平世代部門の第1位は、こちら!(初公開日 2024年9月13日/肩書などはすべて当時)。
2012年11月、札幌市内のホテルで行われた日本ハムの新入団選手発表は主役不在で始まった。最初に名前を呼ばれたのは、1位指名の大谷ではなく2位指名の森本さん。メジャー挑戦を希望していた大谷との交渉は難航しており、すでに仮契約を結んだ選手6人のうち“最上位指名選手"は森本さんだった。
「一緒にやりたいと思っていました。二刀流に挑戦するという話が出ていて、いったいどんな選手なんだろう、って。僕は関西出身ですし、高校時代に同世代で一番目立つ存在と言えば藤浪(晋太郎、現メッツ傘下3A)でした。翔平は対戦したことも見たこともなかったですが、当初野手としては(同じ)ショートを守るという話があった。同じポジションになるし、正直言ってライバル視していたところもありました」
「北陸ではナンバーワンと言われていたんですけど…」
同じ高卒の頼もしい同期も、ひとたびプロ入りすればライバルだ。大谷と初めて顔を合わせたのは2013年1月、千葉・鎌ケ谷の二軍施設で行われた新人合同自主トレ。室内練習場で共にバットを握った瞬間、抱いていたライバル意識は木っ端みじんに吹っ飛んだ。
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「あいつのバッティング練習見た瞬間、これは勝てんわと思いました。なんだこの音! って。打球音が銃声に聞こえるんです。バーンッて、もう破裂しているような音でした。僕らは金属から木のバットに変わって対応に苦労しているのに、翔平はそんなのお構いなし。衝撃を受けました。あれは今でも忘れられないです」
森本さんは高校通算33本塁打、公式戦では5割以上の打率を記録した大型遊撃手。当時からスイングスピードはプロ野球レベルの153kmをマークしていた。
「高校時代、北陸ではナンバーワンと言われていたんですけど、プロ野球に入ったらもうほんま、下の下ですよ。入ったら一瞬にして鼻を折られました。だってドラフト1位にはあいつがおるわけですから(笑)」