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小泉進次郎の“野球たとえ発言”に違和感…本当に意味は適切か? 大谷翔平と総裁選「勝敗の行方は“50-50”」「一本足打法から二刀流へ」検証結果が出た…
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2024/11/05 06:00
使われ方は適切か? 小泉進次郎が発言してきた“野球たとえ”を検証した
〈バントでつなぎながら、私にはできない裏方の仕事をみなさんにやっていただいた。さあ、四番バッターとして大いにフルスイングしてこい、と。その舞台を与えていただいた。必ず勝利を勝ち取っていきたい〉(同前)
文章の論理展開はこうなる。
主張:必ず勝ちたい
野球たとえ1:裏方はバントでつないでくれた
野球たとえ2:自分はフルスイングをする。なぜなら「4番」だから
自らのキャッチフレーズ「迷ったらフルスイング」を補強するために、「4番」は重要な番号だったのだ。ビジュアルの良くない40代男性が会社内で「迷ったらフルスイング」と言えば顰蹙を買いそうだが、爽やかな外見の進次郎氏が口にすると、そうは思われない。逆の見方をすれば、「野球たとえ=おじさん」のイメージを変えてくれる救世主とも言える。
パターン3)メディア向けのフレーズ
進次郎氏は言いたいことの補強ではなく、主張そのものに「野球たとえ」を使用する場合がある。総裁選の出馬会見では、こんなフレーズを高らかに述べた。
〈日本の産業を一本足打法から二刀流へ。そして世界へ〉(2024年9月6日配信/スポーツ報知)
「一本足打法」は打者のフォームであり、「二刀流」は投手と打者の兼任を意味する。種類の違う言葉を並列しているため、野球ファンは困惑する。しかも、そのまま世界に飛び立とうとしているのだ。
正確を期すなら「一本足打法から二本足打法へ」、もしくは「一刀流から二刀流へ」になる。しかし、これではますます意味がわからなくなる。普通に「日本の産業の柱を1つだけでなく、2つにしたい」と言えば良い場面だが、用法の正しさよりも、惹きの強さを選んだのだろう。そのため、戸惑いという副作用が生じた。
混乱した“大谷翔平50-50”のたとえ
このように、進次郎氏の「野球たとえ」は時に人を混乱させる。総裁選中、50本塁打、50盗塁の「50-50」を達成したドジャースの大谷翔平に関する質問が出ると、こう答えた。
〈総裁選の勝敗の行方は50-50です〉(2024年9月21日配信/日刊スポーツ)
自分の当落が50%、50%という意味なのだろう。しかし、大谷は50本塁打、50盗塁の「50-50」である。無理に結びつけると、違和感が出てくる。それとも、進次郎氏は総裁選で50本塁打、50盗塁をしようと考えていたのだろうか。