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女子プロレス“歴史に残る流血戦”「まるでイノキ対ベイダー」Sareeeが引き出したボジラの“才能”「アメリカのリングでも間違いなくトップに」

posted2024/11/01 17:01

 
女子プロレス“歴史に残る流血戦”「まるでイノキ対ベイダー」Sareeeが引き出したボジラの“才能”「アメリカのリングでも間違いなくトップに」<Number Web> photograph by Essei Hara

女子プロレス「マリーゴールド」のワールド王座戦、ボジラの腕を取りにいくSareee。10月24日、後楽園ホール

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

 後楽園ホールにも近い東京・水道橋にコアなプロレスファンが集まる店がある。居酒屋「たかところ」。その壁に『2024年 たかところ 上半期プロレス大賞発表』というマジック書きの紙が貼ってあった。

 女子部門MVPにSareee、ベストバウトに岩谷麻優vs.Sareee、話題1位にマリーゴールド、2位にボジラとある。“太陽神”Sareeeはマリーゴールドに新設されたワールド王座の初代王者だ。そしてドイツから来た“大怪獣”ボジラは、マリーゴールドの旗揚げ戦で一夜にして日本のファンの心をつかんでしまった。

 10月24日に行われたSareeeとボジラによるワールド王座戦、その注目度は高かった。

体格差はまるで「猪木とアンドレ」のふたり

 Sareee:158センチ、60キロ。28歳。

 ボジラ:181センチ、91キロ。21歳。

 この体格差もあり、Sareeeは戦前「アントニオ猪木vs.アンドレ・ザ・ジャイアントの映像を見て戦略を考えている」と話していた。筆者もそんなシーンを思い描いてみたが、実際に行われた試合は猪木vs.ビッグバン・ベイダーの方に近かった。

 猪木とベイダーは1987年12月27日、両国国技館での「たけしプロレス軍団」の大暴動事件から、1996年1月4日の東京ドームでの壮絶な一戦まで、力の衰えが見えていた猪木が大型のパワーファイターにどう向かっていくかを見せた試合だった。同時に猪木との戦いで、若き日のアンドレがそうであったように、ベイダーがプロレスラーとして大きく成長していく過程でもあった。そんな意味合いでもSareee vs.ボジラは興味深かった。

 Sareeeがボジラをどう攻めるか。後楽園ホールの客層は、いつもと少し違うようにも見えた。9月に行われた『DREAM STAR GP』では、Sareeeはボジラに負けて決勝戦に進めなかった。

「私のプロレス人生はライバルに恵まれて、ライバルたちと戦うこと。絶対負けたくないって気持ちが強くて、私はここまで来れたんだなと思ってます。正直、最近は新しいライバル、思い切りリングで感情をぶつけ合ってやり合えるような選手がいないなって、なんかつまんないなって思っていた。そんなときに、このボジラって強敵が私の目の前に現れた。マリーゴールドで初の黒星をボジラに付けられて……。メチャクチャ悔しいのはもちろんなんですけど、危機感を感じて。でもこの赤いベルトをかけて戦うってことで、これを乗り越えたときに、また新しいなにかが見えてくるんじゃないかな」

 そう言ってSareeeはボジラと対峙した。

【次ページ】 「アジャコング戦以来の大流血」決着は血染めの腕十字

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