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「ブランは人を大切にする監督だった」男子バレー“重宝された5人のプロ”が語る、敗れても愛される日本代表の全貌「仲良くするのは今じゃない」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2024/09/27 11:04
ブラン監督も信頼を寄せていた(左から)伊藤健士コーチ、行武広貴アナリスト、深津貴之コーチ
対戦相手や自チームのデータを分析し、どう戦うべきかと策を練る。パソコンの画面だけを見つめて夜が明けることも日常茶飯事だったが、身体能力や高さで劣る日本が世界の強豪国の仲間入りを果たせた背景には、ブランと伊藤、行武の3人によるミーティングによって生み出された戦術があった。
当然、その作業は「とてつもなく大変だった」。行武よりも前からブランとのミーティングに参加してきた伊藤は苦笑いを浮かべる。
「たとえば、準々決勝のイタリア戦。(オポジットのユーリ・)ロマーノがハイボールを打ってくるシチュエーションで、日本のポジション6(後衛中央)はどの位置でレシーブするのが効果的か。真ん中なのか、クロス方向へ寄るべきか。データだけでなく実際の映像を見ながらここだろう、と導き出してもブランは『じゃあこれまでの日本戦ではどうなっているんだ』とまた違う映像を見始める。だから1つのポジションを決めるだけで50分かかる。1つのシーンでこんなに時間をかけていたら、終わるまでに何時間かかるんだ、と思うわけですよ。ブランがコーチになってからずっと同じようにやってきて、当初は他のスタッフも『参加したい』と出てくるけれど、あまりの長さと細かさに耐えきれないから2回目は来ない(笑)。それぐらい大変でした」
何時間かかろうと、“最適解”を導き出す。ブランとはそういう人間だった。
「ブランは人を大切にする監督だった」
伊藤に限らず「フィリップ・ブラン」を語ると、ほとんどの人が「妥協しない」「意志を貫く」と口をそろえる。2017年から2021年まで、そして再び2022年からパリ五輪まで、S&Cコーチを務めた村島陽介もその一人だ。
海外でアメリカンフットボールなどの他競技で経験を積んできた村島は、多くの指導者を見てきた経験から「要求が強く、自分の意志を通すことが多いので、ヨーロッパでは彼を煙たがる人も多い」とブランの印象を語る。ただ、すべてを突っぱねるかというと、そうではない。
ブランが来日した当初は、フィジカル面を強化すべく、合宿では5日連続で休みは1日というハードなスケジュールが組まれた。さらに一つ一つの練習の強度が増し、リカバリーの時間も十分に取れなかったため、疲労がたまり筋肉系の負傷が相次いだ。そこで村島はブランに練習内容の見直しを進言した。
「練習がきついとは予想はしていたんですけど、さらに上回ってきた。その結果、ケガ人が続出したことを見て、『このスケジュールでは厳しい』と進言しました。その声をブランさんはちゃんと受け入れてくれて、それ以降はガラッと変わった。監督という立場で時に厳しい判断を下す時もありますが、提案や要求に対して頭ごなしにダメだと言うことはない。人を大切にする監督だったと思いますね」
それぞれに求めることは徹底する一方で、一人一人との関係を丁寧に築く。それは選手との接し方にも表れていた。