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「ブランは人を大切にする監督だった」男子バレー“重宝された5人のプロ”が語る、敗れても愛される日本代表の全貌「仲良くするのは今じゃない」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2024/09/27 11:04
ブラン監督も信頼を寄せていた(左から)伊藤健士コーチ、行武広貴アナリスト、深津貴之コーチ
毎年、国際大会に出場する日本代表選手を選ぶべく、国内リーグはもちろん、欧州や世界各国リーグを訪れ、自分の目と映像でさまざまな選手の動向をチェックする。トップカテゴリーのみならず、その目線はアンダーカテゴリーに至るまで幅広く向けられていた。
だからこそ、と言うべきか。それまでの日本の感覚では当たり前で、誰も疑問など抱くことがなかった些細なことに「なぜ」と疑問を投げかけるのもブラン監督ならではだった。坂本將眞マネージャーには、今も忘れられないひと言がある。
「毎年4月に、その年の日本代表登録選手を発表します。その時に監督から『どうして年齢順に名前を載せるんだ?』と。正直に言うと、僕もなぜなのかわかっていなかったので『JVA(日本バレーボール協会)のルールだから』と答えたんですが……納得はしていなかった。上下関係を嫌って、むしろ誰よりも選手やスタッフに対してフラットに接していたのが監督でした」
監督だけじゃない“プロフェッショナル集団”
リーダーシップに長けた監督のみならず、日本代表の面々もプロフェッショナルな集団だった。大学までバレーボール部に所属した坂本は、マネージャーの経験は一度もなく、英語も「ほぼ話せない状態」だったが「自分のスキルアップのために」と日本代表チームに飛び込んだ。
専門の資格を有するわけではないマネージャーという仕事は一見、「何でも屋」とも思われがちだが、監督や南部正司強化委員長が立てたスケジュールを円滑に回す、とても重要な役割を担う。スタッフ最年少の25歳だったこともあり、誰もが“接しやすい存在”になってもおかしくなかったが、選手たちは任務を遂行するために一線を引いた坂本を尊重した。年上の選手たちも、みんなが「坂本さん」と呼んだ。
坂本は「内心は、もっと選手とワチャワチャしたいと思う気持ちもあった」と笑うが、目標に向けて自らの果たすべき役割を全うする選手の姿を見るたびに、「仲良くするのは今じゃない」と割り切ることができた。