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5歳上の張本勲に「巨人では俺が先輩…」伝説は本当? 元巨人V9メンバー・高田繁に聞く“組織作り”のコツ「チーム作りに年齢なんて関係ない」 

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/09/25 11:04

5歳上の張本勲に「巨人では俺が先輩…」伝説は本当? 元巨人V9メンバー・高田繁に聞く“組織作り”のコツ「チーム作りに年齢なんて関係ない」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

引退後は日ハムで監督&GMも務めた高田繁氏(左)。巨人でチームメイトになった張本勲氏は浪商高校の5年上にあたる高校の先輩でもあった

――ファイターズの50周年シリーズでも全員が大社オーナーの100をつけた特別ユニフォームで試合をしていましたね。

高田 そうそう。チームで唯一の永久欠番だからね。それだけ愛情を持っていた人だってことや。それでもフロントには厳しくてな。「日本ハムグループで赤字は球団だけだ」って怒っている姿をよく見たよ。そういう愛情を持ってくれているのが本当に伝わってきた。現場が「このオーナーのために」って思える人はそうそういない。俺はオーナーには本当に恵まれていたと思うよ。

――高田さんを監督に招聘したのは大社オーナーが希望されたんですか。

高田 いや、そうやなかったね。元報知新聞の記者で球団にいた人が間に入って交渉しとったんやけど、俺も1980年にユニフォームを脱いだ時には、そりゃいつか指導者としてやりたいという気持ちは持っていたからね。だから12球団をまんべんなく見られるNHKの解説者になって、ネット裏から野球を勉強させてもらったんや。

 ただ、実際に自分が中にいたわけではないから、パ・リーグの野球をほとんど知らなかったんだよ。それでも監督で来てほしいと求めてくれたんだからね。野球をやってきた人間として、こんなにありがたい話はないんやから、やらせてもらったよ。それが俺の指導者としての第一歩や。日本ハムには感謝しかないよね。

監督時代に感じた「若い選手を育てるよろこび」

――あの当時の日本ハムは1981年に優勝して以来、2位、3位で、前年は植村義信氏が監督を務めるも6月で休養。球団取締役だった大沢啓二氏が残りのシーズンの指揮を執りましたが9年ぶりの最下位となり、戦力的にもちょうど過渡期にありました。

高田 そうやな。優勝メンバーの主力だった柏原純一や大宮龍男、高代延博らの力が落ちてきていて、その代わりに1年目からよう働いてくれた西崎幸広や松浦宏明、河野のゲンちゃん(博文)に、田中幸雄、田村藤夫、白井一幸……伸び盛りの若手がたくさん出てきてくれた。

 監督の一番のよろこびは勝つこと、優勝することや。じゃあその次は何やといわれたら、やっぱり楽しみな若い選手がいるということやろな。日本ハムで監督をやらせてもらった4年間、優勝はできなかったけど、若い魅力的な選手を使いながら育てていく、そういうよろこびを教えてもらえたと思うよ。監督としてやりがいもあったしね。うん。面白い経験をさせてもらえましたよ。

【次ページ】 チーム作りに「年上だ、年下だなんてのは関係ない」

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