甲子園の風BACK NUMBER
大社の快進撃を見た“ある指導者”の後悔「隠岐の子たちに…責任感じる」野球部“5年後は3割が危険ライン”の報道も…連合チームで甲子園は可能か?
posted2024/09/11 11:03
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph by
Hideki Sugiyama
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今夏の甲子園で日本を驚かせた大社高校。強豪校を撃破していく島根の公立校を見て、複雑な思いを抱えていた男がいる。
「隠岐の子たちが良く頑張った、と心打たれる一方で、あの子たちに環境を作ってあげられなかった責任を感じました……」
そう語るのは、島根・情報科学野球部の渡部謙顧問だ。「あの子たち」というのは、甲子園メンバー入りを果たした隠岐の島出身の3選手のことだ。この世代の島の子たちは中学生のときから知っていた。少し遡って説明する。
大社旋風に複雑な思い…なぜ?
渡部は昨年まで隠岐高の監督を務めていた。同校は2003年に21世紀枠でセンバツ甲子園に出場した実力校だが、2022年夏の大会後に「部員ゼロ」になった。島で唯一の隠岐高野球部がなくなるかもしれないという噂が広がり、中学生たちの耳にも入る。「それなら島外で甲子園を目指そう」と、島を出て挑戦する選手がいた。大社の選手もその例である。
当時、どうすることもできなかった渡部は「島の中学選手たちを迎える環境をつくれなかった責任を感じます。でも、3人の『甲子園に行きたい』という夢がかなったことは本当によかった」と声を震わせる。反省が入り混じった複雑な思いは拭えない。
単独→連合チームの指導者に…
中学野球・離島甲子園で3度の優勝を誇るほど、隠岐の島は野球熱の高い地域だ。2022年秋、渡部は意を決し宮城・加美農を訪問。佐伯友也監督から部員増の秘策と指導法を学び、卒業生や地域の人たちの支援を受けて隠岐高野球部再建に奔走した。しまね留学などを取り入れ、翌春には選手9人、マネージャー3人が入部、現在は2学年15人の単独チームにまで復活させた。