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「なぜプロ志望届を出さない?」大社エース・馬庭優太が初めて明かす“進路の決断”…部員数ギリギリの中学野球部から“早稲田実を倒すまで” 

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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posted2024/09/07 17:00

「なぜプロ志望届を出さない?」大社エース・馬庭優太が初めて明かす“進路の決断”…部員数ギリギリの中学野球部から“早稲田実を倒すまで”<Number Web> photograph by Kota Inoue

今夏の甲子園を驚かせた大社高・馬庭優太がインタビューに応じた

「甲子園での4試合は、人生を変える4試合だったと思います。その中でも一番印象に残っているのが、早実戦。試合を重ねるごとに応援の声も増えて、バックネットの(観客の)皆さんも応援してくださっていたのが感じられました。そこで自分が打って決めて、あれだけの歓声をもらえたのがうれしかったです」

 こう振り返り、「あと…」と付け加える。

「ピッチングで一番手ごたえを感じたのも、この試合。2試合連続で(先発で)投げて疲れはあったんですけど、その疲れがあるからこそ、力感のないフォームができたので。そう考えたら、やっぱり3回戦が色んな意味で一番いい試合でした」

 ところでこの夏、馬庭はいかに覚醒したのか。

中学時代は超無名…なぜ大社に?

 小学1年から所属した、地元・出雲市の少年野球チーム「高松野球スポーツ少年団」では、1学年上で、昨年ヤクルトから育成指名された髙野颯太らとともに主力となり、出雲市内の大会で優勝するなど、一定の結果を残した。

 中学は、地元の公立中に進まず、私立の出雲北陵中へ。指導者から「野球と勉強が両立できる環境」と熱烈なアプローチを受け、心がほだされたのが決め手だった。当時の出雲北陵中の部員は、馬庭曰く「11か10人」。ギリギリ試合ができる人数だった。エースの馬庭が試合を作っても勝ちきれないケースが多く、公式戦で上位に顔を出すことはなかった。

 3学年上の姉・歩未さんが大社でマネージャーだった縁もあって進学すると、1年春からベンチ入り。2年秋からはエースとなったが、中学時代に公式戦で勝ち上がる機会が少なかったからか、投球の強弱の付け方に難があった。気迫を前面に出すことが持ち味である一方、あらゆる球を全力で投げてしまっていた。

 昨秋までは完投した際の球数が、140球を超えることがほとんど。一番多い試合では9回で162球に上るなど、力みから無駄球が多くなるシーンが散見された。このことから、「夏の終盤は、馬庭くんの球数がかさんで、捕えられる場面が来る」と断言していた島根県内の指導者もいた。

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