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岸田文雄“あの大暴投”の真相…「本当に野球部?」疑惑を監督に直撃すると「もともと送球に難あった」「政治家一家の息子と知ってノックを弱めた」
posted2024/09/08 06:00
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph by
Getty Images
その一投は世界に衝撃を与えた。
2023年3月10日、東京ドームで行われたWBC日本対韓国戦の始球式。「101」の背番号を付けた元高校球児の101代目内閣総理大臣が投じたボールは、ストライクゾーンを外れて三塁側を浮遊する。キャッチャー役を務めた日本代表監督(当時)の栗山英樹は、バッターボックス外にバウンドした球を必死に追いかけ、身を投げだすようにして捕球した。
いったい、何が起きたのか。唖然とする場内。その投球を見たあなたにもこんな疑念が湧き上がったに違いない。
「本当に野球部だったのか?」
総理自ら総裁選不出馬を決断し、終止符を打った岸田政権。この約3年間、旧統一教会との関係や派閥による裏金などさまざまな問題が浮かび対応に追われてきたが、「岸田総理は高校球児ではなかったのでは?」という疑惑については一向に解明されていない。当時のチームメイト、監督を取材すると……。
2023年3月10日、東京ドームで行われたWBC日本対韓国戦の始球式。「101」の背番号を付けた元高校球児の101代目内閣総理大臣が投じたボールは、ストライクゾーンを外れて三塁側を浮遊する。キャッチャー役を務めた日本代表監督(当時)の栗山英樹は、バッターボックス外にバウンドした球を必死に追いかけ、身を投げだすようにして捕球した。
いったい、何が起きたのか。唖然とする場内。その投球を見たあなたにもこんな疑念が湧き上がったに違いない。
「本当に野球部だったのか?」
総理自ら総裁選不出馬を決断し、終止符を打った岸田政権。この約3年間、旧統一教会との関係や派閥による裏金などさまざまな問題が浮かび対応に追われてきたが、「岸田総理は高校球児ではなかったのでは?」という疑惑については一向に解明されていない。当時のチームメイト、監督を取材すると……。
「堅実なセカンドでした」元チームメイトの証言
岸田文雄氏は東京生まれ、麹町中学を経て、1973年開成高校に入学した。1年先輩のスタメン選手はこう振り返る。
「開成は中高一貫で内部進学組が多いのですが、彼は高校から入学して野球部に入部してきました。あまり目立つタイプではなかったと思います」
本当に野球部には所属していた……。実際1年夏はベンチに入れず、練習を積んでいたそう。同級生からも一目置かれる存在だった。
「開成って中学2年の段階で普通の3年までの勉強を終えるカリキュラムなんです。だから高校から入ってきたヤツは苦労したと思いますよ。でも、岸田は合宿も普段の練習も、グラウンドが使えず野球ができない日もサボらず休まなかった。真面目な姿勢は大したもんですよ」(同級生のスタメン選手)
「よろしくお願いします!」
元気よく挨拶をしてグラウンドに入る岸田氏の姿は部の中でも定着し、活動は週3日ながら、いつしか“モノマネ”をされるようになった。岸田氏が目指したのはセカンド。当時のファーストは堅実にボールを捌く姿が印象に残っているという。
「飛びついて好捕ということはないけど、正面で止めて捕る、その基本をしっかりやる堅実なセカンドでした」