「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
広岡達朗92歳が大笑いした“ある質問”…その内容とは?「えっ、広岡さんがそんなことを…」ヤクルト監督時代の本音「エースは松岡に決まっとる」
posted2024/08/30 11:35
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Sankei Shimbun
「松岡とは一緒に苦労した間柄」と広岡達朗は言った
92歳になった広岡達朗に「1978年のヤクルトスワローズ投手陣」について話を聞いていると、繰り返し語られるエピソードがある。
「“今日は調子が悪いな”と判断して、私が審判に交代を告げると、安田はライトに向かって走って帰る。そして、ジャンボはキャッチャーの後ろ、バックネットに向けて思い切りボールを投げつけてからベンチに戻る。今考えてみると、2人とも悔しいんだよね。“何でオレのことを信用できないんだ”という前向きの怒りなんだよね……」
広岡の言う安田とはもちろん安田猛のことであり、「ジャンボ」とは鈴木康二朗である。安田は2021年2月に73歳で、鈴木は2019年11月に70歳で没している。広岡は続ける。
「あの頃、私もまだ若かったから、その姿を見て腹が立って仕方がなかった。隣にいたコーチの森(昌彦/現・祇晶)に、“何であいつらはあんな態度を取るんだ。監督をバカにしとる!”って文句を言ったことがある。それは今でも覚えているよ」
広岡に取材を続けている間、このエピソードは何度も聞いた。しかし、1978(昭和53)年、スワローズ初の日本一の立役者となった沢村賞投手の話題が語られることは少なかった。「沢村賞投手」とはもちろん松岡弘のことである。そこで、改めて「松岡さんの印象はいかがですか?」と尋ねてみる。広岡の言葉は短い。
「お互いに研究して苦労した仲だよ……」
続く言葉を待った。
「……あいつは本当に人がいい。2人で苦労して、“ああせい、こうせい”とか、“どうやって投げたらいいのか?”と何度も話し合った。そんな仲だよ」