「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
ヤクルト監督・広岡達朗はなぜエースを“干した”のか? 謎に包まれた「松岡弘、空白の26日間」の真相…「私はいい選手に恵まれた」92歳の告白
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/08/30 11:36
ヤクルトスワローズ監督時代の広岡達朗と、エースとしてチームを支えた松岡弘。松岡をマウンドから遠ざけた「空白の26日間」の真相を、広岡が明かした
復帰後の松岡について、大矢も口をそろえる。
「バランスについては改善されていました。マウンドさばきと言えばいいのかな、マウンド上でおどおどすることもなかったし、自信を持ってボールを投げられるようになったと思いますね」
広岡達朗と松岡弘がともに過ごした「濃密な26日間」
ペナント争いが白熱してきた9月に入ると、1日の阪神戦で完投して10勝目を挙げたのを皮切りに、計8試合に登板して6勝無敗という圧倒的な力を発揮し、月間MVPを獲得した。9月だけで松岡は42回1/3イニングを投じている。6月から7月にかけての「空白の26日間」が、ここにおいて生きてきたのだ。
46年前のあの日々について、広岡に尋ねる。「勝負のときを見据えて、あえてシーズン途中にミニキャンプを命じたのですか?」と。広岡は静かに笑う。
「さぁ、どうだったかな? よう覚えとらん。ただ、あの期間にきちんと基本を見直したことは松岡にとっても、チームにとっても決して無駄なことではなかった。それは間違いないことでしょう」
松岡は今でも広岡に感謝している。
「あの26日の間、いろいろなことを考えたし、葛藤もありました。でも、結果的にペナントレースでも、日本シリーズでも、最後まで投げさせてもらって、胴上げ投手になることができた。それは、広岡さんからのご褒美だったという気がするんだよね。もし、広岡さんにお会いする機会があったら伝えておいてよ。“本当にありがとうございました。今でも感謝しています”って。あと、“90歳を過ぎられたんだから、もう毎年年賀状も出さなくていいですから”って(笑)」
松岡の思いを広岡に伝える。
「そんなことを言っていましたか、松岡は。シーズン途中に毎晩、彼と一緒に過ごしたことが今ではとても懐かしいね。私はいい選手に恵まれましたよ……」
広岡にとって、松岡は「エース」であり、「大将」であり、そして「ともに苦労した仲間」でもある。あの26日間は、決して「空白の」ではなく、両者にとっては師弟の絆を深めるための「濃密な26日間」だったのである――。
<前編とあわせてお読みください>