「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
広岡達朗92歳が大笑いした“ある質問”…その内容とは?「えっ、広岡さんがそんなことを…」ヤクルト監督時代の本音「エースは松岡に決まっとる」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/08/30 11:35
1978年にヤクルトスワローズを球団初の日本一へと導いた広岡達朗。92歳になった名将が語る、「あの大エース」への“本当の評価”とは
大エースに訪れた「空白の26日間」
78年シーズンを振り返る際に、決して忘れてはいけない「事件」がある。それが、6月5日の登板から7月2日の復帰登板まで、松岡に訪れた「空白の26日間」である。心身ともに万全であると自覚していたにもかかわらず、この間、まったく登板機会を与えられなかったのである。46年前の夏の日を、松岡が述懐する。
「身体はピンピンだよ。肩も、ひじもどこも痛くない。それなのに、まったく投げさせてもらえない。二軍に落とされるわけでもなく、ずっと一軍にいて遠征にも同行します。試合中にはブルペンでピッチングもしました。それでも、試合で使ってくれない。広岡さんからも、ピッチングコーチの堀内(庄)さんからも何も説明はない。“監督は、何でこんな仕打ちをするんだろう?”って、プライドが踏みにじられた気分でした」
一体、広岡は何を考えていたのか? 何を意図して、「空白の26日間」を演出したのか? 46年の時を超えて、広岡が口を開いた。
<続く>