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「パラスポーツをもっと身近に」車いすラグビー金メダリスト・池崎大輔が思い描く未来
posted2026/03/06 11:00
パリ2024パラリンピックの車いすラグビー決勝を戦う池崎。日本はアメリカを48-41で破り、金メダルを獲得した
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矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AFLO
車いすラグビー日本代表の中心選手として長年にわたって活躍し、2024年パリパラリンピックで悲願の金メダルを獲得した池崎大輔。普段は三菱商事所属の選手として日本選手権3連覇中のクラブチームBLITZでプレーするほか、TBSラジオでレギュラーコーナーを持ったり講演をしたりしながらパラスポーツの裾野を広げる活動も行なっている。
6歳の時、手足の筋力が徐々に低下する難病と診断され、岩見沢高等養護学校時代から車いすバスケットボールをしていた池崎が車いすラグビーに転向したのは30歳になる頃。両手の力が衰え、バスケットボールを扱うのが難しくなったと感じたからだ。
「バスケは障がいの軽い選手が多い。一方で、車いすラグビーは両手両足に障がいのある選手が対象で、自分に合っていると思ったのです」
池崎が惹きつけられたのは、“フルコンタクト(ぶつかり)”だった。
「バスケは当たるとファウルになるので最初は抵抗がありました。でも、実際に体験してみて、思い切り当たった瞬間、 『気持ちいい』『自分に合っている』 と感じたのです」
フルコンタクト。タックルで倒れても、起き上がり、またぶつかる。その繰り返しに、池崎は自分自身の生き方を重ねた。
「見る人に対するメッセージ性も強い競技。これは自分の性格にぴったりだなと思いました」
29歳は遅い転向に見えるかもしれないが、パラスポーツでは年齢よりも適性や覚悟がものを言う。池崎にとって、車いすラグビーは人生を賭けられる天職だった。日本代表として初めて出たパラリンピックは、'12年ロンドン大会。代表入りからわずか2年での大舞台だった。
「出られたのは奇跡に近かったです。簡単に立てる舞台じゃないですから」
結果は4位。メダルまであと一歩届かなかった悔しさが池崎の心に火をつけた。
「メダルを獲るのは、そんなに甘くないと思い知らされました」
'16年リオ大会では、開幕まであと2カ月という時期の強化合宿で右手首を骨折。ボルトで固定する手術を受け、痛みを抱えながらも史上初の銅メダルを獲得したが、納得はなかった。
「4年間やってきて、 努力の仕方も含めて、何かが足りなかったんだと思いました」
'21年東京大会でもリオに続いて準決勝で敗れ、銅メダル。2大会連続のメダル獲得は素晴らしいが、決勝に進めなかった悔しさだけが心を疼かせた。
「準決勝の壁と言われましたが、それも自分たちで作っていたのだと思います。 でも、その壁があるから燃えるんです」
池崎は半歩下がって全体を俯瞰し、足りないものが何であるかを熟考した。そして迎えた'24年パリ大会。日本は見事に準決勝の壁を打ち破り、頂点へたどり着いた。ロンドン大会から実に13年目。勝っては成長の手応えを感じ、負けては考え続けた時間は静かに、確かに、積み上がっていた。
心・技・体が整ったからこそ引き寄せられた「運」
パリ大会が東京大会までと決定的に違ったのは、心の持って行き方に重きを置いたことだった。 「力はある。でも出せていない。それは気持ちの問題じゃないか」と考えた池崎は、他のベテラン選手とも意識を共有し、 チームで何年も話し合い、「いつも通り」の気持ちで臨むことを徹底した。
「心・技・体の中で、一番難しいのは心。心をコントロールできれば、メダルは寄ってくる。そう思うのです」
パリ大会では準決勝のオーストラリア戦の延長戦で、守備に入っていた池透暢主将の頭上に相手のパスが落ちてきて、日本がそれを奪ってトライした場面があった。結果は1点差の勝利。池崎はそれを「運」だと言う。
「その運を引き寄せる準備ができていたかどうか。 そこが一番大事だったと思います」
実力、経験、メンタル、そして運。すべてが嚙み合った瞬間、日本は初めてパラリンピックで金メダルを獲得したのだった。その時の感動を池崎はユーモアを交えてこのように言う。
「リオと東京で『銅銅』と獲ってきたから堂々としようと思いました。パリ大会では堂々と金メダルを獲ることができ、胸を張って帰国できました」
20代前半の選手もいるなど、年齢も障がいも幅広い日本が一丸となって闘うことができたのは、このように場を和ます能力を持ち合わせる池崎の存在が大きい。
そんな日本に欠かせないベテランを支えているのが三菱商事だ。同社は 「所期奉公」という企業理念の下、誰もが生き生きと活躍できる社会の実現を目指し、'14年にパラスポーツを支援するプロジェクト「DREAM AS ONE.」を開始。パラアスリートや競技団体の支援など、様々な活動を継続している。'16年7月から所属選手となった池崎は、「三菱商事の所属となり、生活の基盤が整い、アメリカ、カナダ、オーストラリアのチームに単身で挑戦するなど、世界を見ることができました。その経験が、今の自分を作っています」と感謝する。
誰もが知る大企業の看板を背負う責任もある。
「三菱商事の代表として、しっかり活躍しなきゃいけない。常に背中を押されている感覚です」
車いすラグビーで名を上げ、世界の頂点にも立った池崎は今年48歳になった。今も週3日は午前・午後の2部練習を行ない、持ち上げるベンチプレスは100kg超。 「パフォーマンスで若い選手には負けません」と笑う。今年の世界選手権での優勝、そして'28年ロサンゼルスパラリンピックでの連覇が大きな「目標」だ。
一方で池崎は、 「夢は手の届かないところにあるもの。だから、あまり簡単に口にしたくないんです」 とも言うが、 それでも、思い描く未来ははっきりしている。パラスポーツをもっと身近な存在にすることだ。
「47都道府県すべてにパラスポーツの拠点があったらいい。ラウンドワンみたいに、そこへ行けば気軽に車いすラグビーの体験ができる商業施設があったらいい」
金メダルはゴールではない。
「獲ったからこそ、形として何かを残したい。金を獲ったら、こんなこともできるのかと、そうなりたいのです」
足りないものを考え抜いて目標を達成した池崎の目には、すぐにまた新たな足りないものがあることが見えていた。アスリートとして、そして社会の一員として、池崎の挑戦はこれからも続いていく。
池崎大輔(いけざき・だいすけ)
1978年生、北海道出身。岩見沢高等養護学校で車いすバスケットボールを始め、'08年に車いすラグビーに転向。'10年に日本代表に選出され、'16年リオ、'21年東京とパラリンピック2大会連続で銅メダル獲得に貢献。'24年パリでは金メダルを獲得した。現在は三菱商事に所属しつつ強豪BLITZでプレーしている。
三菱商事「DREAM AS ONE.」プロジェクトとは?
所期奉公、処事光明、立業貿易──創立以来の企業理念である「三綱領」をよりどころに、三菱商事は社会貢献活動を行い、とりわけ「障がい者への支援・福祉」には特別な思いをもって取り組んできた。2014年に始まった「DREAM AS ONE.」プロジェクトではパラスポーツへの支援を従来よりも強化し、障がい児向けスポーツ教室やパラスポーツ体験会を開催するほか、「大分国際車いすマラソン」などさまざまな大会に協賛。また池崎のほかに、今井友明(車いすラグビー)、辻内彩野(パラ競泳/「辻」は一点しんにょう)、遠山勝元(パラ陸上競技)を所属選手としてサポートしている。
◆三菱商事「DREAM AS ONE.」プロジェクトの詳細はこちらからご覧ください



