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ブレイキン初代金メダリストAMIが明かす“理由なき直感” 決勝でやるはずのムーブをなぜ準決勝で?「人見知りで引っ込み思案だった」少女の原点
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byAsami Enomoto / JMPA
posted2024/08/27 17:10
パリ五輪の新競技ブレイキンで初代女王に輝いたAMI
ジャッジの判定は3-6、6-3、8-1でAMIの勝利。最初の2ラウンドを分け合い、最終ラウンドは圧倒した。判断は正しかった。ユーロスポーツの実況は「クラシックと新しいスタイルの融合。AMIはそれを優雅にこなしている」と感嘆した。
ブレイキンは、練習で作り上げたムーブという手札とその場で瞬時に反応する即興性を組み合わせて踊る。
「ひとつのラウンドを1から10まで分けるとしたら2、4、6は空けていて、その場で考えるみたいな感じです。ただ、曲や相手にもよるし、忘れちゃうこともあるので、他の部分もいつも変わっていますけどね」
準決勝の踊りもAMIは全部を覚えてはいないという。
「でも、あのラウンドはセコンドで後ろにいたKATSUさんがめちゃめちゃ喜んでくれてました。『最高だったよ!』って。だから100点満点じゃないかな」
AMIの第一印象は「まったくなつかない子」
AMIが石川と初めて出会ったのは10年以上前、小学5年生の頃だ。姉と一緒にヒップホップダンスを習っていた高田馬場のスタジオでブレイキンを教えていたのが石川だった。AMIは隣の教室でふと目にしたブレイキンの技、脚を広げて背中でくるくる回るウィンドミルに目を奪われた。
石川が抱いたAMIの第一印象は「まったくなつかない子」。人見知りで引っ込み思案。だが、闘志は人一倍あった。できなくて当たり前なのにレッスン初日にウィンドミルができず泣いていたという。
しばらくすると、AMIは大人に交じって練習するようになった。川崎市のJR武蔵溝ノ口駅前、通称ノクチには石川をはじめ世界レベルのBボーイが集っていた。練習開始は夜11時頃。AMIは埼玉県の自宅から母親に送迎してもらい、足繁く通った。
派手な動きばかりを追求するのではなく、カルチャーや伝統を尊重して踊る。オールドスクールと言われるようなAMIのスタイルの原点はここで培われた。
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