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「もう無理なのかな…」堀米雄斗がいま明かす逆転金メダルを決めた“奇跡のトリック”「じつはオリンピック会場で一度も練習してなかった」
posted2024/08/22 11:04
text by
梶谷雅文Masafumi Kajitani
photograph by
Takuya Sugiyama
発売中のNumber臨時増刊号「パリ五輪 熱狂の記憶」に掲載の[五輪連覇インタビュー]堀米雄斗「最後の一本は自分への挑戦」より内容を一部抜粋してお届けします。
「もう無理なのかな…」奇跡の大逆転で金メダル
東京五輪王者の“苦戦”にハラハラドキドキしていたのは、周りで見ているファンだけだった。泣いても笑ってもラストトライ。直前にジャガー・イートンが大技を決め、自身は7位まで後退しているというのに、堀米雄斗は別のことを考えていた。
「最後のトライは緊張より集中の方が強かったから、誰が決めたとかもあまり関係なかったです。もちろん接戦だったら点数を見ていたと思いますけど、もう一切、点数も計算してませんでした」
ノーズを弾き、回転し、テールがレールをとらえ、完璧に着地。最後の最後で堀米は感情を爆発させ、大きく吠えた。97.08という大会最高得点をマークする奇跡の大逆転で、金メダルを獲得した。
「金メダルを取るのに96.99が必要というのも知らなかったですね。もう無理なのかなと思っていましたから。点数よりはトリックの方にすごく集中していました。3本目くらいまではナイジャ・ヒューストンもジャガーも調子が良かったから、そのときの方が緊張してましたね」
一度周りをシャットダウンした
五輪連覇を果たした堀米は「地獄のような3年間でした」と振り返った。
東京五輪以降に採点ルールが変更されたことも堀米を苦しめた要因のひとつだった。東京ではランとベストトリックから4つのベストスコアが採用されたのに対し、パリ五輪の出場権をかけた予選シリーズではランの得点がひとつ、そしてベストトリックの得点がふたつ。ランの得点がより重視される新しいルールは、ベストトリックを得意とする堀米にとって不利なものだった。上海大会ではまさかの予選落ち。パリへの切符は絶望的とも思われた。
「他の大会では結果を残せることもあったんですけど、(予選シリーズは最後の)ブダペスト大会まで一回も優勝できなかったし予選落ちも多かったので。そのなかで周りの目が気になってキツかったし、滑りきれたとしても点数が伸びなかったり、思い通りにいかないこともありました。アメリカですごく楽しそうに暮らしていると思われているかもしれないですけど、全然そんなことなくて……。ひとりの時間も多くて一度周りをシャットダウンしたときはあったかもしれない。ブダペストの前くらいまではひとりで滑ることが多かったです」
――ブダペスト大会では土壇場でノーリー270ブラントスライドをメイクしてパリ五輪出場を決めました。それから心境の変化はありましたか?