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計量失格インド人レスラーの悲劇「8歳時に父が射殺され…」「レスリング連盟のセクハラ告発」須崎優衣に勝った“幻のメダリスト”知られざる壮絶人生
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byGetty Images
posted2024/08/25 17:03
パリ五輪レスリング女子50kg級で決勝に進みながらも、計量で失格となったビネシュ・フォガト。五輪後、首都デリーの空港で熱烈な歓迎を受けた
伯父は大ヒット映画のモデルとなった“鬼コーチ”
ビネシュは彗星のごとく現れた新星ではない。オリンピックは3回連続出場となるベテランだ。2016年のリオデジャネイロ五輪は48kg級、2021年の東京五輪は53kg級に出場しており、その前後の国際大会では金メダリストの登坂絵莉や向田(志土地)真優とも対戦している。2018年にはレスラー仲間と結婚。アジアの女子選手の中ではまだ珍しい既婚者レスラーでもある。
もっとも、熱心な映画ファンならば、“フォガト”の名字を耳にしたことがあるかもしれない。中国で記録的な大ヒットを飛ばし、日本でも話題を呼んだ『ダンガル きっと、つよくなる』というインド映画はビネシュの従姉妹であるギータとバビータ、その父マハヴィル・シン・フォガトを主役に扱っている。
フォガト家はインドでは有名なレスリング一家だ。ビネシュはマハヴィルの弟ラージパルの娘であったが、ビネシュが8歳のときにラージパルが自宅前で親戚に射殺された。子供とはいえ、女子にレスリングをさせることが地域の規律に反していると判断されたうえでの凶行だった。そこで姉ブリヤンカとともに″鬼コーチ″として知られる伯父ハマヴィルの家に身を寄せ、伯父の4人の娘たちと一緒に指導を受けた。インドではマハヴィルの娘と合わせ、6名で「フォガト姉妹」と見なされている。ちなみにギータとバビータの妹リトゥは3年ほど前、MMAに転向している。
映画のヒットによって、ビネシュらフォガト姉妹の活躍はいまだ低い立場に置かれることが多いインドの女性たちの希望の灯となった。一家全員がレスリングをやっているという物珍しさも手伝い、国内外で知名度を獲得した。
とはいえ社会的影響力を得ることにはプラス面もあれば、マイナス面もある。この映画で父マハヴィル役を演じるとともにプロデューサーも務めたアーミル・カーンと妻キラン・ラオは、インドの宗教的不寛容さに疑念を投げかけ、また作品を通して女性の社会進出を拒む国家の構造矛盾を訴えたため、脅迫をはじめあまたの嫌がらせを受けたという。