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日本フェンシングはなぜ「史上最強」になれたのか…競技人口6000人の“マイナー競技”を20年かけて飛躍させた「強化計画」と「外国人コーチ」の系譜
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2024/08/06 17:00
男子フルーレ団体、決勝戦アンカーに抜擢されたチーム最年少の飯村は勝利の瞬間大きく腕を広げる
「『フェンシングが強くない国』でした。コーチになる前の日本選手への印象は、敏捷性があるけれど技術のレベルは低い。ただコーチになってみて、みんな一生懸命練習することを知りました」
もうひとつ行ったのが長期合宿、いわゆる「500日合宿」だった。北京五輪を前に協会が都内に住居を用意。全国に散らばっていた代表選手たちはそこで生活しながら、国立スポーツ科学センター(JISS)で練習したのである。追いかけるべき日本のほうが練習量が多くなければいけないのに、実際には海外勢より明らかに少ないことからの取り組みだった。マツェイチュクもこう捉えていた。
「海外の強い選手に比べて練習時間が短いのに『勝てない』と悔しがるのはおかしいと思います。勝つためには海外よりもっと練習しないと」
潤沢な資金はない中、地道に強化方針と「2008年の北京でメダルを獲る」という目標を説明して資金を募った。社会人として働きながら競技を続けている選手もいたが、各職場の理解を得て、参加にこぎつけた。
北京で成果をあげる
狙い通り、北京五輪でひとつの成果をあげる。太田雄貴が銀メダルを獲得したのである。続く2012年ロンドン五輪ではフルーレ男子団体で銀メダルを得た。
北京五輪の成功で、強化の道筋は定まった。男子フルーレに限らず、海外から指導者を呼んで各種目の強化に取り組み始めたのだ。そのためには資金の準備が必要だが、メジャースポーツではない中、それを整えた努力は見逃せない。
指導者の顔ぶれも変わってきている。今大会で銅メダルを獲得した女子フルーレ団体は、フランク・ボアダン(フランス)が2017年にコーチに就任し8年目を迎える。ボアダンは自身が五輪メダリストで、フランス代表チームのコーチでもあった人だ。
男子フルーレは、東京五輪でマツェイチュクが退任。東京五輪でフランスのエースとして団体金メダルを獲得したフランスのレジェンド、エルワン・ルペシューが引退とともに日本のコーチについた。同じく東京五輪後、女子サーブルにはジェローム・グース(フランス)が就任。東京で結果を残せずモチベーションに苦しんでいた江村美咲が同コーチの指導で意欲を取り戻し、2022、2023年世界選手権連覇を果たすまでになったことでも知られる。東京五輪に続きメダルを獲得した男子エペは、オレクサンドル・ゴルバチュク(ウクライナ)が2009年から指導にあたっている。余談ながら、ロシアによるウクライナ侵攻後、江村の父を中心に選手たちも交え、オレクサンドルらへの支援活動も行ってきた。