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誤審、号泣、辞退…選手に投げつけられる“誹謗中傷”は東京五輪より悪化している? 「正義感」を増幅するメディアの悪弊「コタツ記事」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byNaoya Sanuki/JMPA

posted2024/08/03 11:05

誤審、号泣、辞退…選手に投げつけられる“誹謗中傷”は東京五輪より悪化している? 「正義感」を増幅するメディアの悪弊「コタツ記事」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/JMPA

阿部詩が敗戦後に見せた悲痛な号泣にも中傷コメントが投げつけられたという

「楽しむ」「通過点」発言へのバッシング

 例えば1996年のアトランタ五輪ではオリンピックを「楽しむ」という発言から、壮絶なバッシングを受けた選手がいた。

 代表選考会を「通過点」と語った選手にも生意気だとしてバッシングがあった。

 選手の所属する団体など関係先への電話、手紙などが当時の手段であった。あるいは街中で追いかけられた選手、罵倒された選手もいる。

 以前からそうした出来事があったことを考えれば、残念ながら、誹謗中傷を行う人はいつの時代もいるのだろう。社会からいなくなることは、おそらくはない。以前にもそう記したことがある。

 そしていま誹謗中傷の広がりを生んでいるのが、SNSの発達にほかならない。ダイレクトに選手に向けてメッセージや言葉を寄せることができ、しかも手軽に行えることが問題を肥大化させているのは事実だ。手軽にできるから、対戦相手に、担当した海外の審判に、国境を越えて誹謗中傷が行われる。とどまることを知らない。日本に限った話でなく、誹謗中傷は深刻な課題としてパリ五輪であらためて浮き彫りになった。

 誹謗中傷する人がいなくなることはないにせよ、あきらめることなく、それが問題であること、何が誹謗中傷なのかを広めるなどの努力は欠かすわけにはいかない。

「コタツ記事」の罪

 その上で誹謗中傷を減らすために大切なことの1つが、メディアの抱える問題にある。

 SNSが発展する前の事例でも、実はメディアがバッシングを大きくする要因だった。例えば「楽しむ」をきっかけに叩かれることになった選手の特集や記事を繰り返し、しかも見出しではあおる言葉遣いがみられた。その流れに乗っかる人は間違いなくいただろう。報道が拍車をかけたのは否めない。

 東京五輪以上にパリ五輪で目につくのは、ネット記事の増大だ。試合の模様や選手のプレーといった競技そのものに関する記事以上に、SNSなどのコメントを引用しただけに近い記事が氾濫している。それも誹謗中傷に値する過激なコメントをネット上で拾い、見出しにも活用して記事を仕立てる類のものだ。

 中にはいくつかのコメントしかないのに「殺到」といった言葉で煽っているケースもある。それが誹謗中傷を増幅させている面が多分にある。「引用して紹介しただけ」は、誹謗中傷を増やす役割を果たしていることを考えれば通らない。

 パリ五輪に限った話ではなく、選手の容姿に触れるものやオフでの行動を当該選手のSNSの写真とコメントとともに取り上げ、それがきっかけで誹謗中傷が起きているケースもしばしばある。メディアとしてどうだろうか。

「ひとつでも、心に染みが広がるように影を落とす」と語った選手がいる。数十、数百も届けばなおさら大きなダメージを受ける。

 これも以前書いたことだが繰り返す。伝える立場のメディアも誹謗中傷と無縁ではなく、責任は重い。


 

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