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「それって、野球はできますよね?」名門ボーイズ選手を襲った“骨肉腫”という病…慶大&関大の野球部主将が振り返る「チームメイトとの物語」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Takeshi Shimizu
posted2024/07/05 17:02
現在、慶大で主将をつとめる本間颯太朗(左)と関大主将の藤原太郎。2人はともに奈良の生駒ボーイズ出身で、あるチームメイトと関わりがあった
そこに抗がん剤治療も並行して行われた。見るのもつらかったと父は言う。
「頭は坊主の状態からちょっと毛が生えかかっていて、ほんの少し触っても短い毛が抜けるんです。ベッドの下に落ちてるのがわかる。嫁はんが、峻也がトイレに行って来るって言う間に(粘着シートで)コロコロして。抜けた毛を見せたくなかったんでしょう」
食べることもままならない。気持ち悪くなって吐くこともしばしばだった。体重は60キロから40キロ半ばまで減って、がりがりになっていた。
折を見て藤原はじめ同期の仲間で見舞いに行った。両親に車椅子を押され、音野は笑顔を見せた。入院は約10カ月間。3月になっていた。「外に行きたい」というと許可が出て、生駒ボーイズの試合を京都まで見に行った。
退院して中2の5月。厳しいリハビリをこなし松葉杖をつきながら、歩けるようになって学校も行けるようになった。では生駒ボーイズはどうするか。もうプレーはできない。できることといったらスコアを付けることだった。
プレーはできない…それでもチームは辞めなかった
同期18人をプレー以外で支える。13期の担当、石田稔之監督の横でスコアを付けて、チームを応援した。
発病してすぐ、両親がチームの植田太平会長、石田監督に「野球は続けられないからチームを辞める」と挨拶に行った時のことだ。石田監督は怒るように諭した。
「それはあかん。何を言うとんねん。たった2カ月でも俺の教え子や。大事な教え子や。病気のことで何か言うやつがおったら、言うて来い」
この言葉には両親は号泣したという。
石田にとっても大病を患う子を預かるのは初めてだった。
「まだ出会って4、5回の練習しかしてへん。感情移入ができるほどの付き合いもなかったんです。僕もどうしたらいいかわからなくて」
最初は「頑張りましょう」とありきたりのことを言うだけだったという。手術を終えたので見舞いに行った時のことだ。音野の目が生きてる、と感じたという。
「目が輝いてるんです。言葉は少ないんですが目が訴えていた。この子をちゃんとしてやらないといけないなと」