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「それって、野球はできますよね?」名門ボーイズ選手を襲った“骨肉腫”という病…慶大&関大の野球部主将が振り返る「チームメイトとの物語」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Takeshi Shimizu
posted2024/07/05 17:02
現在、慶大で主将をつとめる本間颯太朗(左)と関大主将の藤原太郎。2人はともに奈良の生駒ボーイズ出身で、あるチームメイトと関わりがあった
音野は東大阪市の同じ小学校の野球チームの先輩・元山飛優(現西武)に憧れていた。父親同士も親しい間柄。元山が所属していた生駒ボーイズに入りたいと思うようになった。淳一はいい選手が集まって強いチーム。「レベルが高いけど、ええやん」と賛成した。
音野には幼稚園の時から一緒に遊んだ本間颯太朗という同い年の友達がいた。
隣のマンションに住んでいて、近くの公園が遊び場だった。こちらは母親同士が特に仲が良かった。小学校に上がるタイミングで本間が奈良に引っ越したが、まだマンションに住んでいた祖父母の家に遊びにきたときなど、音野とキャッチボールをした。
本間も小学校で野球をやっていて、奈良の自宅から車で20分ほどの生駒ボーイズへの入団の気持ちを固めていた。説明会に行ってみると、音野の母親がいるではないか。音野も本間君が来てたよ、と母から聞かされた。6年のブランクがあったが、中学野球は同じチームに入ることになる運命的な再会になった。
高校、大学で活躍を続ける生駒OBたち
生駒ボーイズのグラウンドは生駒山地の中腹にあって、徒歩や自転車では通えない。父兄の車での送迎が必須になる。音野家ではお爺ちゃんが夕方、送って行って、仕事を終えた淳一が練習の終わる夜の10時ごろに迎えに行った。
本間の送迎役は母だった。婦人部長としての雑用をこなしながら練習を見守った。
経過は後述するが、本間は現在、慶応大学野球部のキャプテンだ。昨年は秋の六大学野球、明治神宮大会の優勝に貢献した。
13期は他に花咲徳栄に進んでキャプテンを務め甲子園でも活躍、ドラフト1位で指名されて入団したソフトバンクの井上朋也。19年の夏の甲子園で優勝した履正社で2年生ながら主力だった池田凛(現在は明治大4年)。内野手の福岡勇人は健大高崎を経て中京大に進み、今年6月の大学選手権でベスト8まで残る活躍をした。
彼らは中学時代を生駒のグラウンドで励ましあった。(文中一部敬称略)
<次回へつづく>