甲子園の風BACK NUMBER
「捕球できる…あれ?」ドジャース大谷翔平“17歳の衝撃弾”が頭上を通過「大谷世代と言われますが、藤浪晋太郎にも…」大阪桐蔭元主将のプライド
posted2024/06/23 17:01
text by
間淳Jun Aida
photograph by
JIJI PRESS
同世代でトップクラスの投手だったのは間違いない。だが、日頃から150キロを超える投球を見ていた強豪校の主砲に驚きはなかった。むしろ驚いたのは、今まさにメジャーリーグの舞台でホームランを量産する、打撃のポテンシャルだった――。
大谷の「身長や球速は特に気にならなかった」ワケ
2012年、春の選抜高校野球大会1回戦で、大阪桐蔭は大谷翔平(現ドジャース)擁する花巻東と対戦した。大阪桐蔭の主将だった水本弦が回想する。
「マウンドに立った大谷選手を見て、投げ方がすごくしなやかできれいだなと感じました。躍動感があって力強いフォームの藤浪とは違うタイプでした。大阪桐蔭に入学してから藤浪や澤田と紅白戦などで頻繁に対戦していたので、大谷選手の身長の高さや球速は特に気になりませんでした」
水本の学年からは大阪桐蔭卒業後、藤浪晋太郎(現メッツ)と澤田圭佑(現ロッテ)、2人の剛腕がプロ入りしている。ケース打撃や紅白戦といった実戦練習が中心だった日々の練習で、水本は藤浪投手や澤田投手と対峙した。当時から150キロを超える球を投げていたチームメートの直球を打ち返す打力がなければ、大阪桐蔭の主軸に座ることはできなかった。
このセンバツの半年後、大谷は岩手県大会で日本の高校生史上初の160キロを記録している。だが、センバツでは故障の影響もあって本調子と言えなかった。大阪桐蔭の大谷対策はシンプルだった。
3番打者としてフル出場した水本はこう明かす。
「大谷投手は秋の岩手大会も東北大会もほとんど登板していませんでした。センバツ直前も投球練習を20、30球でやめているという情報がありました。甲子園で先発しても5回くらいで球威が落ちると予測して、序盤はしぶとく粘って後半に勝負する作戦で臨みました」
記憶に刻まれたのはストレートではなく…
試合は大阪桐蔭のイメージ通りに進んだ。5回までは0-2。大谷に対して、わずか単打2本に封じられた。だが、リードされても焦らない。得点チャンスは終盤に巡ってくると考えていたからだ。
6回。先頭打者の水本が四球で出塁すると、大阪桐蔭の攻撃にスイッチが入った。この試合初の長打となる二塁打を含む2安打に四球や犠打を絡めて3得点。試合をひっくり返した。続く7回にも2点を追加するなど、最終的に大谷から9点を奪って勝利した。
大谷投手との初対戦で水本の記憶に刻まれたのは変化球だった。