甲子園の風BACK NUMBER
「捕球できる…あれ?」ドジャース大谷翔平“17歳の衝撃弾”が頭上を通過「大谷世代と言われますが、藤浪晋太郎にも…」大阪桐蔭元主将のプライド
text by
間淳Jun Aida
photograph byJIJI PRESS
posted2024/06/23 17:01
花巻東高校時代の大谷翔平はセンバツ大阪桐蔭戦で、藤浪晋太郎からライトへの本塁打を放った
高校生では珍しくフォークを自在に操る投球について「カウント球にも勝負球にも使われて厄介でした。カットボールも打ちづらかったです」と振り返る。
捕球できる、と思って追った打球がライトスタンドへ
ただ、最大の衝撃は投球ではなく、大谷の打撃だった。
この試合の4番に座った大谷は2回の第1打席、カウント2ボール2ストライクから藤浪が投じた116キロのスライダーをライト方向へと打ち上げた。
捕球できる――。
右翼を守っていた水本は、最初はそう思って追ったという。しかし打球はぐんぐん伸びる。はるか上を通り過ぎる打球を見上げて、ライトスタンドに着弾するのを確認するしかなかった。
「大谷選手はタイミングを外されて右手一本で打ったように見えました。まさかスタンドに入るとは思いませんでした。藤浪と初対戦で本塁打を打てる選手がいることにびっくりしました。実は、打者としての大谷選手はノーマークだったんです」
水本をはじめ、大阪桐蔭の選手たちが警戒していたのは「投手・大谷」だった。それだけに、「打者・大谷」の衝撃は大きかった。
大谷は3打席目でもアウトになったものの、三塁へ強烈なライナーを放っている。水本はこの打球についてもこう語っている。
「三塁手のグラブが持っていかれるのではないかと思うほどの打球でした。大谷選手の技術とパワー、どちらにも驚きました」
大谷投手のパフォーマンスは確かに水本の印象に残った。しかし、メジャーリーグで二刀流として活躍し、MVPを獲るまでの選手になるとは全く想像していなかったという。
「当時は正直、藤浪や1学年下の森の方が大谷選手より上だと感じていました」
後にプロ入りするチームメートの藤浪投手や森友哉(現オリックス)の投球や打撃が勝っていると感じていた。
大谷に食事面について聞いてみたところ…
水本が高校時代からの変化に気付いたのは、大谷が日本ハムに入団して3年ほど経った時だった。亜細亜大でプレーしていた水本は本格的なウエイトトレーニングに取り組んでいた。その頃、テレビで見た大谷の体は明らかに厚みを増していた。
大谷が専属の栄養士をつけたという報道を見たことから、普段の食事について質問するため連絡を取った。