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甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平「小4からホームラン量産」伝説…幼なじみ捕手が明かす成長物語「中学の時はストライクが入らず、大変だった」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byNanae Suzuki
posted2024/06/19 06:00
今季、ドジャースで打者として期待に答える活躍を見せている大谷翔平。学生時代の投打の歩みを幼なじみのキャッチャーが振り返る
「3年生を差し置いて試合に出ていたので、逆に厳しくされていたと思います。全力疾走とかしなくても怒られていましたね」
投手・大谷の進化
大谷は佐々木監督の方針で、1年時は体作りに主眼を置き、「打者7割、投手3割」(佐々木大樹)ほどの比率で練習を行っていた。それでも、マウンドに上がった大谷と対戦した時は「三振したりしていました」という。中学時のイメージは、すっかり消え去っていた。
「荒れてはいますが、ストライクが入るようになっていて、変化球も精度はかなり上がっていました。器用でしたね」
幼なじみの関係とはいえ、3年生と1年生が他の部員の前で仲良く話すことは難しい。それでも、「翔平からストレッチとか、コンディショニングのことを聞かれたので、教えた記憶はあります」と振り返る。上下関係の垣根を超えて、野球がうまくなることだけを追求していった。
寮で同部屋生活「すごい寝ていました」
寮では一関リトルシニアの先輩、後輩という間柄から、2人同部屋でプライベートを共にした。大谷は今でも1日10時間以上の睡眠を取るが、この頃も「すごい寝ていました」と佐々木は振り返る。
「練習がきつすぎて、基本的にはお互い寝ていました。部屋にはテレビがなかったので、DVDプレーヤーで『アメトーーク!』を見たりしました。勉強は……していなかったです(笑)。多分授業をしっかり聞いていたんだと思います」
最後の夏が近づくにつれ、2年連続甲子園出場への重圧は増していったが、昔と変わらない幼なじみの天真爛漫な性格が、佐々木の緊張をほぐしてくれた。
<つづく>