- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「親父でもプロになれるんだから、俺もなれるわ」高校生・山崎福也の宣言に父「ヒドいこと言うな(笑)」…巨人&日本ハムOBの父が語る「親子の物語」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/06/14 06:01
日大三高時代は5番打者としてセンバツ出場も果たし、準優勝投手にもなった山崎福也。当時、父に対し大胆不敵な「プロ入り宣言」をしていたという
「一軍はいいところやな、何とかここにしがみついていかな、って。でも当時は代打にも凄いバッターがいた。僕は結局、一軍と二軍を行ったり来たり。それでも、ジャイアンツでの10年間は自分にとって濃い時間になりました。勝つことは宿命という球団でしたから、勝利への意識や執念というものはしっかり学びました」
ひたすら見て寄り添っていく指導
日本ハムに移籍後の1991年シーズン限りで現役を引退。一軍出場は40試合余りだったが、12年間ユニフォームを着続けられたのはひた向きに野球と向き合い、チームのために身を粉にして様々な役割をこなした章弘さんの姿勢あってこそだった。その人間性への高い評価は、指導者への道につながる。現役引退後、日本ハムではのべ12年間にわたりコーチを任され、中日、巨人でもブルペン担当コーチや巡回打撃コーチとして若い選手の指導にあたった。
「僕なんか選手としては一軍で特に実績もないですから、何億ももらっている選手には何も言えないですよ。言えないけれど、コーチをやる以上はそれじゃダメ。だからひたすら見るしかないな、と思いました。ピッチャーなら何球投げてどういう内容だったのか、バッターならどういうことに取り組んでどんなバッティングをしていたのか。自分のことのようにひたすら見て寄り添っていく。それだけは徹底していました」
指導哲学なんてないですけど…
NPBを離れても、指導者のオファーは引きも切らずに届いた。独立リーグの高知、兵庫など複数球団の監督やコーチなどを歴任し、現在は女子硬式野球チーム「兵庫ブルーサンダーズ」の監督を務める。多忙な日々は続いている。