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「親父でもプロになれるんだから、俺もなれるわ」高校生・山崎福也の宣言に父「ヒドいこと言うな(笑)」…巨人&日本ハムOBの父が語る「親子の物語」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byHideki Sugiyama

posted2024/06/14 06:01

「親父でもプロになれるんだから、俺もなれるわ」高校生・山崎福也の宣言に父「ヒドいこと言うな(笑)」…巨人&日本ハムOBの父が語る「親子の物語」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

日大三高時代は5番打者としてセンバツ出場も果たし、準優勝投手にもなった山崎福也。当時、父に対し大胆不敵な「プロ入り宣言」をしていたという

「家で喋っている時に『プロ野球選手って簡単になれるんだな。親父でもなれるんだから、俺もなれるわ』って無邪気に(笑)。普段の僕の生活を見て、そう思ったんですかね。『お前、ヒドいこと言うな』って笑いましたよ」

 その言葉通り福也は進学した明大でも通算20勝を挙げるなど活躍し、2015年にドラフト1位でオリックスに入団。父と同じプロ野球選手の夢を叶えた。とはいえ、お手本となった(?)父が現役でプレーしていたのは福也が生まれる以前のこと。そもそも章弘さんの現役生活はどのようなものだったのか。

ドラフト2位で巨人入団の父

 キャッチャーとして強豪・育英高校で活躍した章弘さんは、1980年にドラフト2位で巨人に入団した。当時の監督は長嶋茂雄。エースは江川卓、4番は王貞治(現ソフトバンク会長)。中畑清や篠塚和典ら若手が一軍に定着し始めた輝かしい時代だった。

「高校時代は僕もお山の大将みたいな存在でしたが、プロに入ってみたらそこは別世界でした。右を見ても左を見てもテレビに出ている人ばかり。それが同じユニフォームを着ている。憧れ、驚き、訳わからない気持ちでしたね。投げたり打ったりということも結構自信を持って入ったのに、全く歯がたたないし相手にされない。『とんでもないところに入ったな。辞めて帰りたい』と思いました」

18歳で突然アメリカへ

 とはいえ、2位指名した強打の捕手に球団は期待をかけていた。ルーキーとして参加した初めての宮崎キャンプ。サブグラウンドで練習をしていると、突然向こうから人だかりが押し寄せてきた。数百人の報道陣を引き連れて歩いてきたのは、長嶋監督その人。章弘さんを探して呼び寄せ、満面の笑みでこう口にした。

【次ページ】 スパイク磨き、ファンレター仕分け…

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山崎福也
北海道日本ハムファイターズ
山崎章弘
兵庫ブルーサンダーズ

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