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初挑戦の1万mで世界陸上代表の衝撃…“破天荒プリンセス”絹川愛が「天才女子高生ランナー」になった日「何も知らなかったのが良かった」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/06/11 11:01
高校3年生で2007年大阪世界陸上の1万m代表に選ばれた絹川愛。それまで1万mの距離はほとんど走ったことがない状態だったという
陸上競技に帰ってくるということは、そこに未練があるということなのだろうか。結論を急ぎたくなるが、行く末について尋ねる前にまずは来し方を振り返ってみたい。
初挑戦の1万mで世界陸上の標準記録を突破
絹川の才能が広く世間に知られるようになったのは、仙台育英高に通う高校生の頃である。
2005年、高校1年でインターハイの1500mで3位に入ると、その冬には全国高校駅伝で2区12人抜きの快走を演じた。さらに3年生になると、実業団選手に交じってグランプリシリーズに参戦する。4月の兵庫リレーカーニバルで初の1万mに挑み、そこで31分35秒27の高校記録を叩き出した。これは当時の世界選手権A標準をも上回る好タイムだった。
勢いそのままに日本選手権に初出場を果たすと、絹川はそこでも福士加代子、渋井陽子に次ぐ3位に入り、高校生ながら世界陸上・大阪大会の1万m日本代表に選ばれる。
インタビューで答えた、「トラックとマラソンの女王の次に入れて、プリンセスになれた気がします」というコメントも、当時は話題となった。
「ほんと、あの頃は破天荒プリンセスでしたね(笑)。練習でも1万mは走ったことがなかったし、参加標準のことも知らなかった。日本選手権もそれこそ『雑誌で見たことがある選手と一緒に走れるんだ』って感じで……。でも、いま思えば、何も知らなかったのがかえって良かったのかもしれない。どこで苦しくなるのかとかもわかっていなかったから、とりあえずもう1周、あと1周って、無我夢中で走りきることができたので」
世界陸上では逆にその経験の少なさがあだとなった。
海外勢のスピードに翻弄され、終盤にペースを落として14位。世界の壁に跳ね返された。高校生ランナーとして健闘したとも言えるが、自身の才能についてはどのように考えていたのだろう。
「私は本当に体も小さかったので、練習も控え目に、わりと自由に育てていただいたんです。よく言われたのが『軽自動車にスポーツカーのターボエンジンをつけたような体だね』って。練習よりも試合を重ねて強くなる。いつも120パーセントの力を出して帰ってくるから、しっかり休んでまたって感じでした」