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高校生で日本代表→社会人でスランプ…陸上「消えた天才」絹川愛(34歳)が“男装コスプレイヤー”になったワケ「いったん違う人間になりたかった」
posted2024/06/11 11:02
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
(L)本人提供、(R)JIJI PRESS
絹川はまだまだ伸びる。この頃、誰もがそう信じていた。
社会人4年目となった2011年には、初めてハーフマラソンに挑戦し、札幌、上海と国際大会で2戦続けて好走を見せた。高校時代に出場した大阪大会に続いて、2度目の世界陸上となった8月の韓国・大邱大会の1万mこそ脱水症状に見舞われ最下位と辛酸をなめたが、トラックだけではなくより長い距離への適性も示し、翌年のロンドンオリンピックにはマラソンで挑戦するという構想もあった。
ただ、ケガの影響もあり、結局ロンドンの選考会はマラソンではなく1万mに絞って出場。しかし、北京に続いてまたも出場は叶わなかった。
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これ以降は徐々にレースでの活躍が目立たなくなっていく。
陸上関係者以外に印象が薄いのは、もしかすると彼女がオリンピックに出ていないからかもしれない。
オリンピックは「そりゃあ、行きたかったですよ」
オリンピックへの思いを聞くと、こんな本音がこぼれた。
「そりゃあ、行きたかったですよ。世間はやっぱりオリンピック、オリンピックって言うから、それに出なきゃダメなのかなって。チャンスはあったんですけどね」
ことさらに強調するわけではないが、ロンドンの選考については割り切れない思いを持っていたようだ。絹川は当時、五輪出場の条件である参加標準のA記録を切っていた。選考の対象となった日本選手権でも、じつは3位に滑り込んでいる。3位以内に入れば可能性はあると聞かされていたが、結果は落選だった。不明瞭な選考基準に泣かされたケースの1つと言えるだろう。
「あの時は、なんでって思いましたよ。すごく悲しくて、大人たちに裏切られたって気持ちもありました」