オリンピックPRESSBACK NUMBER
「増田明美2世」と呼ばれた女子マラソンエリートの葛藤「負けるのが嫌で、練習が怖くなって…」名城大で加世田梨花が“嫉妬した”2人の選手
posted2024/06/16 11:02
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
L)AFLO、R)Takuya Sugiyama
陸上を始めたのは中学生のころ。足が速いことを褒められたのがきっかけだった。
それまではバスケットをやっていたが、背が低いこともありなかなか試合では使ってもらえなかった。ただし、走ることは得意で、校内のマラソン大会で優勝したこともある。「やっぱり褒めてほしいので」という理由で、中学では陸上部に入った。
しかし、女子校で部員数も少なく、指導者も専門の知識を持ち合わせていなかった。先輩が残していったメニューに自分でアレンジを加え、練習はほぼ単独で行っていたという。
それでも県大会の1500mで決勝に残り、入賞するまでになると、こんな欲が出てきた。もっと強い学校で陸上を続けたい。仲間たちと一緒に切磋琢磨したい。高校は陸上の名門である千葉の成田高に進学。才能はそこで開花した。
「強くなりたい」加世田が決意した日
高1まではケガが多くて思うような結果を残せなかったが、2年生になると高校総体の3000mで5位入賞。アジアクロカンの日本代表に選ばれ、中東バーレーンで初の海外レースに挑んだ。さらにU20の世界選手権(ポーランド)にも出場。5000mにエントリーし、8位入賞を果たしている。
加世田はその頃から強く世界を意識するようになったと話す。
「私、高2で初めてインターハイに出て、自分でもびっくりしたんですけど決勝に進んで5位に入賞したんです。でも、促されるままインタビューエリアに行ったら、記者の方が誰も私に声をかけてくれなくて……。それがすごく悔しかったんですね。
アジアクロカンの時は、周りを見たら遠藤日向くん(学法石川高)とか、のんちゃん(田中希実・西脇工高)とか顔も名前も知っている選手ばかりで、コミュニケーションが取れたのがすごく楽しかった。私もこういう人たちと肩を並べられるようになりたいって思ったし、強くなりたいモチベーションがそこで一段上がりました」
悔しさと喜びを糧に、高校生活を陸上に捧げた。家から学校までが遠く、朝練に出るためには6時過ぎの電車に乗らなければならなかったが、3年間早起きの生活を繰り返した。