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巨人FA移籍「落合vs清原」騒動…落合博満が清原和博にダメ出しした日「高校時代のほうがよかったな」清原の告白「西武では孤立していた」
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/05/26 11:01
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1988年の日本シリーズ。西武・清原和博が出塁し、中日・落合博満と談笑する
「日本球界は、これからは、松井、清原、イチロー。この3人で背負っていってもらわなきゃ。問題は清原だよ。あいつをなんとかしなくちゃいけない。もったいないよな。開幕のときにテレビでちらっと見たけど、良くなかった。本当にもったいないよな」(週刊ポスト1996年4月19日号)
清原にダメ出し「高校時代のほうがよかったな」
ふたりの師弟関係は、落合のロッテ在籍時、清原がプロ入りした1986年から始まり、その年の開幕直前に両者の対談が企画されている。前年の三冠王を前に緊張を隠せないルーキーの清原に、当時32歳の落合が気さくに話しかけ、「高校のときのほうが“構え”がよかったな」と打撃フォームについても指摘する。
落合「だいたい、構える姿勢がよくない。猫背になっている。いま、ものすごくボールにバットを当てたいだろう。そういう感じがしない?」
清原「ええ。そういう気持ちはものすごくあります」
落合「ということは、来たボールを自分でのぞきにいってる。自分でのぞきにいって、自分のストライクゾーンを崩している」
清原「……はい」
落合「だから、もっと背筋を伸ばして、真っ直ぐに立たなきゃ。高校のときは、プロ(の選手)にもめったにいないような、いい構えをしていたんだから、要は、早く昔のかたちを思い出すことだな」
(週刊宝石1986年4月18日号)
「清原にアドバイスできるのは落合だけ」
非情なドラフトで巨人入りの夢破れるも、思い切ってプロの世界に飛び込んだ18歳を甘やかすでもなく、落合はときに厳しく親身になってアドバイスをした。そして、集客に苦しむパ・リーグの救世主として、さらには球界の未来を託せる逸材と見込んで、熱いエールを送るのだ。
落合「パ・リーグばかりでなく、プロ野球そのものを繁栄させるために、おまえのような選手が人一倍の成績をあげる、というのがいちばんいいし、手っ取り早いわけさ。それには、自分の体は自分で作れ。そして、大いに苦しめ。おまえが成長して、挑戦して来る日を楽しみにしているから」(週刊宝石1986年4月18日号)
清原はそんな厳しくも優しい当時のNPB最強打者に心酔する。ロッテ戦になると、尊敬する落合がイレギュラーで怪我しないよう、攻守交代の際に一塁ベース付近を念入りにスパイクの底でならしてからベンチへ帰る背番号3の想い。1986年オフ、落合はトレードで中日へ移籍。パ・リーグでの共闘はわずか1年で終わりを告げたが、あれから10年が経過しても清原の視線の先には、常にオレ流がいた。打撃不振に陥ると、こんな西武首脳陣のコメントが誌面を賑わせる。