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「まるで芸術品」「ゾクッとしました」20歳の武豊が初めてダービーを意識した“消えた天才”…脚にボルトを入れた“不屈の名馬”が復活するまで 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byYuji Takahashi

posted2024/05/23 11:40

「まるで芸術品」「ゾクッとしました」20歳の武豊が初めてダービーを意識した“消えた天才”…脚にボルトを入れた“不屈の名馬”が復活するまで<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

1989年11月、20歳の武豊を背にデビュー3連勝を決めたヤマニングローバル。しかしこの直後、右前第一種子骨の複雑骨折という悲劇に見舞われた

 本邦初のエアロフォームは2戦2勝。当時の日本の勝負服はパタパタと風にはためくものばかりだったが、この日を機にエアロフォームを採用する厩舎や馬主が増え、やがてそちらが主流になっていく。

 そうしたエポックメイキングな日に颯爽と登場した新星が、ヤマニングローバルだったのだ。

「ダービーに手が届く感じがして、ゾクッとしました」

 ヤマニングローバルは2戦目の黄菊賞(京都芝1600m)も完勝した。

「皐月賞やダービーといったクラシックが、自分のなかで手の届くところに来たような感じがして、ゾクッとしました」

 武は、胸にずしんと来る強烈なものをこの馬から感じた。

 そして3戦目、11月11日のデイリー杯3歳ステークスを好位から抜け出して完勝。2着コニーストンは翌年初戦でオープンを勝ち、3着ロングアーチはダービー後に武の手綱でGIIIの中日スポーツ賞4歳ステークスを制し、4着ダイタクヘリオスは2年後からマイルチャンピオンシップを連覇。5着イクノディクタスは牡馬相手に重賞を4勝する女傑という、とてつもなく強いメンバーが揃ったなか、最後の数完歩は流すようにして1馬身3/4差で快勝した。3連勝のすべてが単勝1倍台の圧倒的支持に応えたものだった。

 武は、その前年、スーパークリークで菊花賞を勝ち、GI初制覇を遂げていた。そしてこの年の春は、シャダイカグラで桜花賞、イナリワンで天皇賞と宝塚記念を優勝。シャダイカグラは「意図的な出遅れ」で大外枠の不利を克服し、天皇賞では恐ろしく掛かるイナリワンを見事に折り合わせ、「天才」の名をほしいままにしていた。

 そんな彼にとっても、ダービーだけは遠いタイトルだった。初騎乗だった前年のコスモアンバーは「何もできずに」16着、この年はタニノジュニアスで10着。

 ――だが、このヤマニングローバルなら、ダービーを現実的なターゲットとして狙うことができる。

 そう感じたのだが、しかし、デイリー杯のゴール後に右前第一種子骨を複雑骨折。予後不良になっても不思議ではない重傷で、ボルトで骨をつなぐ手術が行われた。長期休養を余儀なくされ、武が夢見た翌年のダービーのタイトルは、幻となった。

【次ページ】 脚にボルトを入れながら復活…讃えられた陣営の手腕

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武豊
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