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長谷部誠26歳「圭佑と同じ便なの、内緒にしてくれないかな」“移籍騒動渦中”の本田圭佑とドイツの空港で…清武弘嗣も憧れた“気遣い伝説”
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byEnrico Calderoni/AFLO
posted2024/06/09 17:00
2010年5月、イングランド戦の本田圭佑と長谷部誠。日本代表キャプテンになる前の、2人の秘話とは
2016年3月に岡崎が代表100試合出場を果たしたときだ。この一戦を前に「岡崎にキャプテンマークを任せたい」とハリルホジッチ監督から相談されたタイミングだった。
「岡ちゃんはパーソナリティーやプレーのクオリティを見ても、キャプテンの資質は十分だと思います。その時に僕は『そのまま岡崎にやらせたらいいんじゃないですか?』と監督に伝えたのですが、『それはちょっと違う』と言われました」
なぜ、長谷部はキャプテンの立場に固執しなかったのか。以前、こう話していたことがある。
「若い選手がキャプテンをやるべきだというのはずっと思っていて。僕が彼らをサポートすることはできるし、これからの日本代表は若い世代がもっともっと出てこなければいけない。そうならないと世界では勝てないと思うんです。もちろん、僕は彼らに負ける気はないですけど、若い世代には頑張ってほしくて」
清武が「今までで一番のキャプテン」と話したワケ
そもそも、長谷部がキャプテンを任されたのは、中学時代以来のこと。また、藤枝東高校時代の同級生の多くが「長谷部はキャプテンタイプではなかった」と証言している。
キャプテンマークを巻いた長谷部が頼もしかったのは間違いない。ただし根っからのキャプテンだったわけではなく、本人もその立場に固執していたわけではない。そう考えると、長谷部が備えているのは「リーダーシップ」なのではないだろうか。
だから、その神髄に触れた選手が思い出される。
清武弘嗣だ。
ブラジルW杯前の1シーズン、長谷部と清武はニュルンベルクでチームメートだった。このチームで長谷部はキャプテンではなかったわけだが――。
「ハセさんは、自分が今までサッカーをやってきたなかで、一番のキャプテンだと思います」
清武はブラジルW杯最終戦の翌日、長谷部のリーダーシップを熱弁した。
「すごく難しいですが、自分はそうなりたいと思う。1年間近くでやってきて、『ハセさんみたいな選手になりたい』と思ったんです。プレーだけではなく、気持ちの面、自分のことだけではなくて、まわりに目を配ることができる。そういう選手に自分はなりたい」
清武がその後に見せた振る舞いは、リーダーシップがにじみ出ていた。
「彼らを大切にしないといけないのでは?」
それは代表だけではなく、所属クラブでも。
清武は2014-15シーズン最終戦でハノーファーを残留に導くゴールを決め、背番号も10へ変更。名実ともにチームの顔となった。翌シーズンは怪我でフル稼働できない悔しさもあったが、2部降格がほぼ決定的になった残り3試合のタイミングで、監督の部屋を訪れた。
その場で清武は、チームの未来を考え、若い選手を起用すべきではないかと進言した。