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長谷部誠26歳「圭佑と同じ便なの、内緒にしてくれないかな」“移籍騒動渦中”の本田圭佑とドイツの空港で…清武弘嗣も憧れた“気遣い伝説”
posted2024/06/09 17:00
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Enrico Calderoni/AFLO
多くの人が「長谷部誠は最高のキャプテンだ」と感じた理由。それは引退後、彼のキャリアを振り返ることで見えてくるのかもしれない。
キーワードは「キャプテンシー」と「リーダーシップ」ではないだろうか。この2つは一見似ているが、「リーダーシップ」という言葉の方がカバーする領域が広く、その範囲の中に「キャプテンシー」も含まれるイメージだ。
キャプテン就任前後で、長谷部のミックス対応は変わった
長谷部は日本代表のキャプテンマークを巻いて歴代最多となる81試合に出場した。そんな彼が初めて腕章を左腕に巻き付けたのは、2010年の南アフリカW杯直前のこと。5月30日、オーストリアのグラーツで行なわれたイングランドとの親善試合だった。苦境にあえぐチームの流れを変えようと考えた当時の岡田武史監督に急きょ大役を任された。
グラーツのスタジアムの作りは特殊だ。記者会見場の一角にあるガラス扉から、ロッカールームとピッチをつなぐ通路を見渡せるようになっている。あの日の日本代表のセットアップは、ソックス、パンツ、シャツまで全て、青色だった。そのなかで長谷部の左腕に初めて巻かれた黄色いキャプテンマークは、確かに目立ってはいた。
しかし、試合前の長谷部の表情から特別に緊張している様子は見られなかった。
試合の後もそうだった。筆者は当時住んでいたドイツから取材に向かったのだが、長い“缶詰生活”の気分転換としてブンデスリーガのDVDを届けることになっていた。試合後の囲み取材が終わり、記者の輪が解けた後に長谷部に話しかけると――こんなツッコミがあった。
「あれ、お土産は?(笑)」
そんなジョークを飛ばす余裕があった。そもそも、試合後の取材エリアでは取材陣の群れを離れて、記者と個別に話し込む選手もいる。そういうやり取りがあるのは決して不思議な光景ではない。
しかし、翌日以降の長谷部は変わった。取材エリアではみんなの前で立ち止まり、質問が途切れるまで答える代わりに、個別に話すことは基本的になくなった。
ただ逆に言うと、大きな変化はそれくらいだった。試合前日の記者会見に監督とともに出席するなど、長谷部はゲームキャプテンに任される仕事を着実にこなしているように見えた。
なぜなら年齢の上下に関係なく、チームメイトに気を使って行動できる資質は、以前から長谷部に備わっていたものだからだ。
ドイツの空港で本田としばらく話し込んだのち…
思い出すのは、南アフリカW杯の前年。2009年12月19日のこと。