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「軽く話せる時間ではないんだ、あの3カ月は」長谷部誠28歳“戦力外事件”記者が見た真相…ボルフスブルクの仲間が監督に「マコトを使うべきだ!」 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byBoris Streubel/Getty Images

posted2024/05/21 17:00

「軽く話せる時間ではないんだ、あの3カ月は」長谷部誠28歳“戦力外事件”記者が見た真相…ボルフスブルクの仲間が監督に「マコトを使うべきだ!」<Number Web> photograph by Boris Streubel/Getty Images

2012-13シーズンを前にしたボルフスブルク長谷部誠。開幕3カ月、“戦力外”となった時期に何があったのか

「3カ月くらいベンチにすら入れなくて。その中で、色々考えたり、感じたことがあったから。軽く話せるような時間ではないんだよ、俺にとってのあの3カ月は」

 後にそう振り返ったのは、当時28歳だった2012-13シーズンのこと。長谷部は、10月25日にマガト監督(*ボルフスブルクでは2度目の指揮をとっていた時期)が解任されるまで、試合出場はおろかベンチにすら入れてもらえなかった。

 GM職も兼ねた全権監督のマガトが明言したわけではないが、開幕前の長谷部の意思表示が理由だったと見て間違いないだろう。この夏、長谷部はプレミアリーグへと舞台を移そうとしていた。ロンドンへ行く飛行機のチケットもすでに手配されていて、移籍の最後のステップを残すばかりの状況だった。

 しかし、先方の「少し待ってほしい」という突然のメッセージとともに移籍は最終段階で凍結された。8月の終わり、ロンドン行の飛行機もキャンセルし、スーツケースにまとめていた荷物もボルフスブルクの自宅で解くしかなかった。

受け入れるしかないと考えている自分もいるから

 やむなくボルフスブルクへの残留が決まったのだが、そこからは地獄の日々が待っていた。

 全権監督のマガトはもちろん、そこまでの経緯を知っていた。

 一度移籍を決断した選手はもはや戦力ではない、という判断だったのだろう。一応、トップチームの練習には参加させてもらえたが、スタジアムのすぐそばにある森を黙々と走るだけのこともあった。

 なお、このときのチームは開幕から低空飛行を続けていた。それなのに、一向に声はかからない。そんな状況に苦しさを覚えながらも、気持ちのベクトルを他人(すなわち監督)ではなく、自分に向けていたのは長谷部の強さだった。

「チームの調子が良くて、メンバーを代えられないような状況で(試合に)出られないんだったら、わかるけど。チームがこれだけ勝てなくて、その中でも使われない。練習でいくら『グート!』って言われても、使ってもらえないわけだから難しいよ。

 でも移籍の話をしているときに、万が一、ボルフスブルクに残ることになったときのこともある程度は考えていたからね。それくらいの覚悟をもって、夏に話をしたわけだから。自分の中で後悔はない。この状況に決して納得しているわけではないけど、受け入れるしかないと考えている自分もいるから」

「これだけ走りましたよ」と言ってもマガトは非情だった

 もちろん、長谷部は沈黙を貫いていたわけではない。

【次ページ】 仲間たちから「マコトを使うべきだ!」

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