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「長谷部さん、大変だろうなぁ」内田篤人23歳がポツリ…『心を整える。』長谷部誠27歳が怒った日と葛藤「あんな形で壊してほしくないわ!」

posted2024/05/21 17:01

 
「長谷部さん、大変だろうなぁ」内田篤人23歳がポツリ…『心を整える。』長谷部誠27歳が怒った日と葛藤「あんな形で壊してほしくないわ!」<Number Web> photograph by AFLO

2011年、シャルケ内田篤人とボルフスブルク長谷部誠。彼ら日本代表選手は社会現象の真っ只中にいた

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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元日本代表MF長谷部誠が、偉大なサッカー選手としてのキャリアを終えた。ブンデスリーガで17シーズンもの長期間を一線級で戦い、ドイツ人からも畏敬の念を集める40歳が歩んだ足跡とは――。00年代後半からドイツで取材を続けた日本人ライターが、強く印象に残った思い出を所属クラブ時代ごとに綴る。(NumberWeb引退記念ノンフィクション/第1回も)

 長谷部誠がマイスターシャーレを掲げるところも、CLの先発デビュー戦でオールドトラフォードを埋め尽くした黄金期のマンチェスター・ユナイテッドのファンたちを沈黙させるアシストを記録したシーンも筆者は現地で目撃させてもらった。

 ただ、葛藤を抱えながら、他人の描くイメージと対峙していた長谷部の姿の方が筆者の脳裏には焼き付いている。

「品行方正で清廉潔白」のイメージと『心を整える。』

 1つ目は品行方正で、清廉潔白な人間というイメージだ。

 そのイメージは、日本代表のキャプテンを任されたことに加えて、27歳時に発行された彼の著書『心を整える。』の大ヒットによって植え付けられたものだろう。あの本が発売された2011年は日本代表ブームに沸いていたことに加え、長谷部自身が受け取るはずだった印税を東日本大震災のために全額寄付することを決めたことも追い風に、著書は100万部を超えるベストセラーになった。

 日本ユニセフ協会を通しての寄付の恩恵を受けた筆頭が、寄付金をもとに再建された宮城県の南三陸町のあさひ幼稚園だ。本当に後世に残すべきものはお金やモノではなく、人々の希望である。子供たちが希望に胸を膨らませる機会を提供したことほど尊いものはないだろう。

 そして、そうした一連の行動は、サッカーでの功績と相まって、多くの企業からの広告出演のオファーにもつながった。ピッチの外で培った人脈や財産は、現役でいながら日本でサッカースクールを開校し、現所属のフランクフルトと提携する規模にまで発展させる偉業につながっていると言っても過言ではないだろう。長谷部自身が、あの本に感謝していることを聞いたのも一度や二度ではない。

僕だって、休みの前の日には飲みに行きたい(笑)

 ただ、多くの人の心をつかむのと引き換えに、苦しむこともあった。あの本が出て「長谷部誠」の名前は世間の老若男女に浸透した。当時23歳で抜群の女性人気を誇った、後輩の内田篤人はこう話していたほどだ。

「オレも日本で声をかけられたり、気づかれたりはするけど、長谷部さんはその比じゃないと思うよ。若い人からお年寄りまで、色々な人に知られるようになっちゃったから。日本でオフを過ごすのは大変だろうなぁ……」

 メディアの人間でも「完璧な人間像」を悪気なく期待してくることが多かった。それもあってか、書籍の発売から約3カ月の時点で、葛藤が垣間見えるこんな発言も残している。

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