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「3発で土俵下まで吹っ飛ばされ…」急逝・曙とデビュー戦で対決…同期力士が振り返る“驚愕の一撃”「バケモノでした。こんな奴がおるんかと」

posted2024/05/12 17:00

 
「3発で土俵下まで吹っ飛ばされ…」急逝・曙とデビュー戦で対決…同期力士が振り返る“驚愕の一撃”「バケモノでした。こんな奴がおるんかと」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

18歳の新弟子検査時の曙(左)と横綱になってからの姿。若貴兄弟に加えて曙、魁皇と昭和63年春場所初土俵組は黄金世代だった

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欠端大林

欠端大林Hiroki Kakehata

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 今年4月、「第64代横綱」として貴乃花や若乃花の“若貴”らとともに平成初期の相撲ブームを牽引した曙太郎さんが亡くなった。曙さんと同じく1988年(昭和63年)3月場所に初土俵を踏んだ力士たちは、若貴をはじめ後の関取経験者も多く「花の六三組」と呼ばれた。そんな黄金世代の同期力士が振り返る、曙さんとのデビュー戦の記憶とは。<前後編の前編/後編を読む>

 外国出身力士として、史上初めて横綱となった曙太郎さんが今年4月、心不全のため亡くなった。54歳の若さだった。

 ハワイ出身の曙が初土俵を踏んだのは1988(昭和63)年春。同郷の先輩である東関親方(元関脇・高見山)にスカウトされ、この年2月に来日。3月に前相撲の土俵に上がった。当時18歳だった。

 この年の春場所は、国民的な注目を集めていた。

「角界のプリンス」と呼ばれた藤島親方(元大関・貴ノ花)の息子、若花田と貴花田の「若貴兄弟」が同時デビューを果たしたからである。

若貴、曙、魁皇…「六三組」は黄金世代

 後に「花の六三組」と呼ばれることになる「昭和63年春初土俵組」は総勢95名。第2次ベビーブーム世代がちょうど15~17歳の年齢にさしかかり、相撲部屋に入門する新弟子の数は年々増加。バブル全盛の世相とも相まって角界は空前の盛り上がりを見せ、「若貴フィーバー」は社会現象にもなった。

 相撲界の歴史に特筆される「六三組」の輝かしい活躍は、伝説的に語られている。同期から横綱3人(曙、若乃花、貴乃花)、大関1人(魁皇)、幕内2人(和歌乃山、力櫻)を輩出し、関取(十両以上)昇進者は実に11人。輝かしい足跡を残したスター集団の物語はすべて、この昭和最後の春場所から始まったのである。

 あれから36年の月日が流れた。90年代の大相撲ブームを華やかに彩った「六三組」だが、いまも相撲協会に残っている者はほとんどいない。

 亡き曙のライバルとして激闘を繰り広げた若貴兄弟はすでに角界を去り、親方として後進の育成にあたっているのは魁皇の浅香山親方ただ1人である。

「放つ光が強ければ、それだけ影も濃くなるのでしょう」

 そう語るのは「六三組」の1人で、押尾川部屋の力士(元幕下・若隆盛)だった古市満朝氏(大阪府出身、51歳)である。

【次ページ】 プロ初日、デビュー戦の相手は…あの曙!

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