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大相撲PRESSBACK NUMBER
「若くして急逝した同期も」若貴、曙、魁皇まで…大相撲《花の六三組》元力士が振り返る“あの頃の角界”「貴花田は大スターだったけど…」
posted2024/05/12 17:01
text by
欠端大林Hiroki Kakehata
photograph by
(L)JIJI PRESS、(R)Hiroki Kakehata
今年4月、「第64代横綱」として貴乃花や若乃花の“若貴”らとともに平成初期の相撲ブームを牽引した曙太郎さんが亡くなった。曙さんと同じく1988年(昭和63年)3月場所に初土俵を踏んだ力士たちは、若貴をはじめ後の関取経験者も多く「花の六三組」と呼ばれた。そんな黄金世代の同期力士がいま振り返る、「六三組」の絆とは。<前後編の後編/前編から読む>
曙や若貴兄弟など逸材揃いと目された「花の六三組」だが、デビューから3年後には、同期95人のうち半数近い45人が角界を去っている。これも勝負の世界の厳しい現実だ。
初土俵を踏んだ力士はまず本名で相撲を取り、番付が上がってくると、郷土に由来する四股名を与えられることが多い。だが、序ノ口、序二段で足踏みするような力士は四股名ももらえないまま引退していくことになる。
「六三組」の1人で、押尾川部屋の力士(元幕下・若隆盛)だった古市満朝氏(大阪府出身、51歳)はかつての喧騒をこう振り返る。
「いまでも同期の間で話題に上るのが、九重部屋に入門したIとCです。2人はそれぞれ16歳、19歳のとき亡くなってしまったんです。でも当時、その件について大きく報道されることはなかったと記憶しています」
「六三組」デビュー当時の九重部屋(師匠は元横綱・北の富士)は千代の富士、北勝海の2横綱を擁する全盛期。福井県出身のIは初土俵からわずか半年後、巡業先の松山で浴衣の帯で首を吊り、自殺を遂げた。
「当時、九重部屋のある部屋付き親方のロレックスがなくなるという事件があり、有望力士だった16歳のIは疑いをかけられ苦にしていた。19歳のCは、1990年の名古屋場所の千秋楽の翌日に“心不全”で急死しました。部屋のなかで何か問題があったと聞きましたが、この噂もやがて立ち消えになりました」
若貴フィーバーの陰で、同期の力士たちが悲劇的な死を遂げていたことはほとんど知られていない。