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“失われた10年を取り戻す挑戦”の残酷な結末…金原正徳41歳の闘いはなぜ胸を打つのか? 鈴木千裕に敗れて呟いた「勝ちたかったなぁ」の重み
posted2024/05/03 17:04
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
RIZIN FF Susumu Nagao
王座初防衛に成功した鈴木千裕が勝利者賞として贈られたシャンパンをリング上でまき散らし、無数の泡が放物線を描いては消えた。『RIZIN.46』(4月29日・有明アリーナ)のメインイベント、王者・鈴木にベテランの金原正徳が挑戦したRIZINフェザー級タイトルマッチ。その刹那的な光景を目の当たりにするや、筆者の脳裏にはここ十数年の格闘技界の時の流れが走馬灯のように浮かび上がった。
冬の時代を知る男・金原正徳の若き日
鈴木24歳、金原41歳。先輩・後輩というよりも親と子に近い年齢差のある対決を、若い鈴木がワンサイドで制した意味は大きい。この勝利によって、昨年7月にBellator世界フェザー級王者のパトリシオ・ピットブルにKO勝ちしたことや、同11月にアゼルバイジャンでヴガール・ケラモフから秒殺KO勝利でベルトを奪ったことが、いずれもフロックでないと証明した。
もうピットブル戦の1カ月前にクレベル・コイケに一本を極められた(コイケの体重超過のため、公式記録は無効試合)鈴木千裕と同じではないことはハッキリした。人は短期間に急成長することができる。“世界”を口にしてもそれが夢物語に終わらないだけの試合内容を、ピットブル戦以降の鈴木は魅せているではないか。
一方、敗者の方も気になった。初めて金原を意識して見るようになったのはいつだったか。おそらく旧リングスのスタッフが設立した団体『ZST』で連勝をマークしていた2006年ごろだったはずだ。本来ならば、そのままスターダムに駆け上がってもおかしくなかった。
しかしながら、翌2007年に格闘技ブームを牽引したPRIDEが活動を休止したことが、その流れを狂わせた。PRIDEの消滅によって、日本の格闘技界は一気に冬の時代へと突入していったからだ。
その結果、金原は“流浪の民”のようにさまざまな団体を渡り歩くようになる。ドン・キホーテをメインスポンサーに格闘技界の救世主のように現れた『戦極』(のちのSRC)ではフェザー級グランプリで優勝。2009年12月31日に行われた『Dynamite!!』では山本“KID”徳郁を破るという殊勲の星をあげたが、地盤沈下を続ける格闘技界は「KIDにMMAで勝った唯一の日本人選手」をスターダムに上げるだけの体力を残していなかった。
金原vs.KIDが組まれた『Dynamite!!』のメインイベントでは、魔裟斗が引退試合を行った。図らずも時代の区切りを示していたようにも思う。