近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
「メジャーなんてありえない」が日本の常識でも…野茂英雄26歳は「メジャー挑戦の夢」を語り続けた 近鉄番記者が聞いた「野茂のホンネ」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasato Daito
posted2024/05/02 11:04
近鉄のエースとして1995年の活躍も期待されていた野茂。しかし、周囲にはメジャーへの思いを隠さないようになっていた
「(故障で)成績が悪くなったら、すぐ辞めさせるのか、って言うから、それは違うと。簡単にいったら、複数年契約をして、身分を確保したいということなんや。そやけど、実績があるやないかと。そんなもん、即(自由契約に)してない」
「複数年にして、何の価値があるんや? 意外は意外やったな。来年クビなんて、常識的に考えたら分かるやろ。アメリカの複数年でも、FAであっちこっち行かれんようにやっとるだけ。野茂はウチが保有権を持ってる。この席上でずっとやる話やない。本人がどう解釈してやっとるのか分からんわ。次回は来年の契約でやろうと言った」
前田の言葉からは、球団として「複数年契約」は一切認めないという、その断固たる方針が貫かれているのが、非常によく読み取れる。
もっと(野球協約を)読んでこないと…
しかし、あれから30年が過ぎた「今」だからこそそう感じるのかもしれないが、取材メモを改めて読み直してみると、この1回目の交渉が、野茂にとって次なる“本気の要求”へ向けての、いわばジャブのような感じすらしてくるのだ。
野茂の言葉の端々に「野球協約」や「統一契約書」に関して、球団側の見解や認識を問いただしていた、その“形跡”が見て取れるからだ。
「自分の権利は、球団に100%あると言われました。その辺から考えてみて、複数年契約を認めてもらえれば、という考えになりました」
「(複数年契約は野球)協約上、ダメだと言われた。(球団)社長も絶対に認めないと」
「保有権というものがある。社長がノーと言えばノー。勉強不足でしたね。もっと(野球協約を)読んでこないと……」
僕の答えとしては、ノーコメント
第2回交渉はその8日後、12月21日に設定された。
その席上、野茂はいよいよ、自らの抱く夢への“本気度” を示す行動に打って出た。