近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
「メジャーなんてありえない」が日本の常識でも…野茂英雄26歳は「メジャー挑戦の夢」を語り続けた 近鉄番記者が聞いた「野茂のホンネ」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasato Daito
posted2024/05/02 11:04
近鉄のエースとして1995年の活躍も期待されていた野茂。しかし、周囲にはメジャーへの思いを隠さないようになっていた
「メジャーなんて、ありえない」という前提
フリーエージェント制度は、1993年オフに導入されていたとはいえ、当時の野茂の場合だと、その権利を得るまで「一軍登録9年」が必要だった。当時は公傷制度(現在は「故障者特例制度」)もなければ、先発ローテーションの関係で、登録を抹消されての調整期間を取ったとしても、その抹消されている間は一軍登録にカウントされない。出場選手登録の145日を1年と換算しての9年とはいっても、故障でもすれば、それこそ10年以上はかかる。そこから“自由”を掴めても、メジャーどころか、日本の他球団に移籍しようと思ったところで、その全盛期は過ぎてしまっているだろう。
メジャーなんて、ありえない。私にも、その“前提”が抜けなかった。
いろいろと“ルール”がありますからね
「メジャー、行きたいんやね?」
シンポジウムを終え、帰路につく野茂を、タクシーに乗り込む前に捕まえた。
「チャンスがあれば、大リーグでやってみたいんですよ。いつも言ってることですよ。でも、いろいろと“ルール”がありますからね」
ここに、ピンとこなかった自分の“甘さ”を、30年の月日がたった今も悔やんでいる。
複数年契約の要求
夢を叶えるために、野茂は本気で動き出していた。
12月13日に設定された第1回契約更改の席上で、野茂は「複数年契約」を球団側に要求。その交渉は、およそ3時間というロングラン。「複数年契約の話を拒否されて、この時間になってしまいました」と野茂が、その交渉経緯の大まかな内容を説明している。
球団社長の前田泰男は、野茂が主張したという「複数年契約」に関して「そんなもんは協約にない。野茂君にやる理由がない」と、要求を完全拒否したことも明かしている。
統一契約書では、選手と球団の契約は「単年」が基本。ただ、選手と球団の双方で複数年の合意をすることは当然ながらあり得る。その場合も、統一契約書上は「単年」のため、契約更改交渉の席が毎年設けられ、単年の契約書にサインをし、記者会見もセットされるという、一連のセレモニーのようなことが行われているのはそのせいでもある。
野茂はウチが保有権を持ってる
前田は、野茂とのシビアなやりとりの一部も明かしている。