近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
「メジャーなんてありえない」が日本の常識でも…野茂英雄26歳は「メジャー挑戦の夢」を語り続けた 近鉄番記者が聞いた「野茂のホンネ」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasato Daito
posted2024/05/02 11:04
近鉄のエースとして1995年の活躍も期待されていた野茂。しかし、周囲にはメジャーへの思いを隠さないようになっていた
1994年11月1日、東京・上智大で「スポーツシンポジウム」が開催され、そのパネラーの一人として野茂が出席するというのだ。
私も、会場へ足を運ぶことにした。
どんなことがあっても、フォームは変えない
トルネード投法は、背中の「11」が打者に見えるほど、体を大きく捻る。
「打者から一回、目は切るんです」
テクニカルな投球のコツを明かしたかと思うと、異端ともいえる独特なフォームを築き上げた社会人の新日鉄堺時代に「男としてやる以上、間違ってもいいから、通せることを1つ思え」と先輩からアドバイスされたと明かし「どんなことがあっても、フォームは変えないと思いました」。
普段は口数の少ない、番記者泣かせの男が、いつになく饒舌に語り、秘めていたエピソードを次々と披露していく。
野茂が“共鳴”していたMLBのストライキ
そして野茂は、自らの胸に秘めていた野望を、堂々とその場で“公言”した。
「大リーグ、すごく興味あります。来年からでも行きたいくらいのつもりで、夢を持っています。プロ野球人は、統一契約書1枚に縛られる。知らずにハンコを押して、それに縛られている。アメリカは、それを変えてきて、ストライキまでやっている。自分を大事にすることに関しては、日本人より強いですね」
今なら、即座に「メジャー志望」の見出しが躍るだろう。しかし、当時は「メジャーに行く」ということが、夢のまた夢、そんなことできるわけがないという固定観念にプロ野球界全体が縛られ、スポーツマスコミもその図式でしか物事を捉えられなかった時代だった。