甲子園の風BACK NUMBER
「安定した生活を捨てるなんて」と言われても…大阪桐蔭元主将“26歳で引退後”の今「全く戦力になれなかった」異動のち退職、起業したワケ
text by
間淳Jun Aida
photograph byGen Mizumoto
posted2024/04/15 17:04
現在は起業した大阪桐蔭高校の元主将・水本弦さん(左)と賛同する長井昭人氏
中学時代に実績のある選手が全国から集まる大阪桐蔭には、「勝って当然」という見方が強い。だが、毎年選手が入れ替わり、一発勝負のトーナメントで勝ち続けるのは簡単ではない。しかも、大阪桐蔭が甲子園に出場するには、激戦区の大阪府や近畿地区を勝ち上がらなければならない。
最悪の想定をしてから試合に入っていました
2012年に主将を務めた水本さんは、大阪桐蔭の強さの要因に準備の徹底を挙げる。水本さんは藤浪晋太郎投手(現メッツ傘下3A)や、澤田圭佑投手(現ロッテ)、森友哉捕手(現オリックス)らとともに、甲子園の春夏連覇を達成している。
なぜ、西谷監督率いる大阪桐蔭は負けたら終わりのトーナメントに強いのか。甲子園でも安定した成績を残せるのか。その理由をこのように語る。
「様々な状況をイメージして、その中でも最悪の想定をしてから試合に入っていました。先制されたり、3点のビハインドになったりした時にどうするのかを考えます。上手くいくと思って試合に入ると、先制されてガタガタと崩れてしまいますが、3点取られてからひっくり返す想定をしておくと慌てずにプレーできます」
それはセンバツで現チームが見せた戦いぶり、そして西谷監督が残した言葉からも見えてくる野球哲学があった。
<つづきは第3回>