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立浪和義はなぜ厳しい指導を貫けた? 本人が語る「原点」星野仙一、落合博満…冷徹と情熱の中日監督論「甘いだけで強くなるわけがない」
posted2024/04/17 11:01
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Sankei Shimbun
立浪が見た監督・星野仙一
立浪は現役での22年間、ルーキーイヤーを含め、監督・星野仙一のもとで10年間プレーしている。
その星野も1986年オフ、ロッテから落合博満を獲得するために、当時のリリーフエースだった牛島和彦を含めた4選手とのトレードを断行した。またナゴヤ球場からナゴヤドーム(当時)に本拠地が移転したことで、その広さに対応するチーム作りのために、1997年オフに主砲・大豊泰昭、捕手・矢野燿大を交換要員として、阪神から足と守備力に定評のあった関川浩一、久慈照嘉の2人を獲得、1999年の“ドーム初V”へと繋げている。
阪神監督時代も、4位に終わった就任1年目の2002年オフに自由契約、引退、トレードなどで24人の選手を入れ替えると、翌2003年にリーグ優勝を果たしている。
その「師」譲りともいえるドラスティックな“血の入れ替え”の象徴が、今回の中田翔獲得に表れていると言ってもいい。
「星野さんは、とにかく厳しかった。初めにやっぱり、いろいろな意味ですけど、厳しい指導者のもとでやらせてもらったのは、誰が監督をやっても、星野さんのもとでやっていれば、何も問題がないんじゃないですか。それくらい勝ちに対しての厳しさとか執念というものを、しっかり植えつけてもらいました。野球に取り組む姿勢もそうですし、勝負に対する貪欲さであったり、当時は毎日、ミーティングもあったりね。もう徹底して、意識づけというものを、知らず知らずのうちに植えつけてもらいました」
その「勝利への執念」を、中日に取り戻させたいのだ。
高木守道監督は「選手を大人扱い」
高木守道のもとでも、4年間のプレー経験がある。