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「ベンチでの佇まいも雰囲気があるんです」名門・筑波大サッカー部の選ばれし“推薦組”が異例の決断…わずか1年で“選手”を辞めた、なぜ? 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2024/04/05 17:02

「ベンチでの佇まいも雰囲気があるんです」名門・筑波大サッカー部の選ばれし“推薦組”が異例の決断…わずか1年で“選手”を辞めた、なぜ?<Number Web> photograph by Takahito Ando

リーグ連覇を狙う筑波大学でヘッドコーチに就任した戸田伊吹(4年)。プレーヤーとして入学したが、2022年から指導者に専念している

 高校時代から指導者の道を志していた戸田は、将来を見据えて筑波大にやってきた。当初は選手キャリアを全うしてからという思いだったが、考え方が180度変わったのは、大学1年の負傷がきっかけだった。

「もともと、高校時代に2種登録をさせてもらって、プロの練習試合にも何度か参加させてもらったのですが、選手としての限界をものすごく感じていました。(トップチームに)上がれなかったこともそうですが、プロになれたとしてもそこから自分が活躍する姿が何も描けなかった。(大学生になってからも)自分の将来を選手としてベットする勇気がなかったんです。

 そんな時に、シーズン途中で足首の怪我とグローインペイン症候群(鼠径部の怪我)でプレーができない時期があり、レイソル時代にお世話になった山中真さん(現・町田コーチ)、飯塚浩一郎さん(現・横浜FMユースコーチ)など、これまでお世話になった指導者の方々とサッカーについて、将来についてたくさん話をする機会がありました」

 負傷離脱中に重ねた会話が戸田の意欲を一層、掻き立てた。「一度火がついたら、止まらなくなっちゃうタイプなので」と、笑みを浮かべるがその決意は本物だった。

大学1年秋で、選手キャリアを捨てる

 筑波大蹴球部では小井土監督の他に学生コーチが数名在籍しており、そのほとんどを大学院生が務めている。ただ、トップチームでプレーする戸田であれば、選手を続けながら下のカテゴリーを指導する学生コーチの兼任も可能だった。だが、「どちらも中途半端になってしまう」と指導者に専念するために選手のキャリアをスパッと捨てた。

「今、決断すれば、大学院生にならないとできないことを残りの3年間でできる。卒業後の時間を指導者としてブラッシュアップする期間にも充てることができる。それはアドバンテージだと思ったんです。何より、小井土さんの下で学びたい気持ちが強くなりました」

 創部128年目を迎える蹴球部において、所属する現役選手がコーチになること自体、ここ30年を振り返っても非常に稀な出来事ではあるが、さらに戸田の場合は数少ない“推薦組”の選手だ。トップチームの大きな戦力ダウンも意味する。練習後のグラウンドの片隅で戸田に覚悟を打ち明けられた小井土監督は、当時をこう回顧する。

「予兆がなかったので、『話があります』と言われたときは『なんだろう?』と思いました。言われた後は正直驚きましたが、『お前の考えていることは分かったけど、もうちょっと考えた方がいいんじゃないか』と伝えましたね。僕はやれるところまで選手としてやって、限界を知って、もっといろいろな経験を積んだ上で指導者になった方が深みは出るだろうなと思っていたので」

 その後、自身の研究室に呼んで説得を重ねた。しかし、戸田の意思は揺らがなかった。そこで小井土監督はある構想をひらめく。

【次ページ】 「まず平山相太の右腕に育てよう」

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