- #1
- #2
大相撲PRESSBACK NUMBER
「ちゃんこの味で言い合いに」「おかみさんを突き飛ばして失踪」優勝せずに横綱昇進、24歳で廃業…“消えた天才”北尾光司の知られざる実像
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byKYODO
posted2024/03/15 11:02
1987年12月31日、「廃業」の記者会見を行う横綱・双羽黒こと北尾光司。大相撲の未来を背負うはずだった大器は24歳の若さで角界を去った
「綱を張った男」の指導力と、滲み出る相撲愛
その後はスポーツ冒険家、プロレスラー、格闘家、実業家と肩書きを変えたが、2003年(平成15年)9月、元小結・旭豊に代替わりした立浪部屋を16年ぶりに訪問し、一時期アドバイザーも務めた。
「『あのときこうだったら、こうしてたのに』というジレンマはありました。でも、相撲は嫌いじゃなかったし、わだかまりは全くありません」
古巣に復帰した北尾氏に当時、話を聞く機会を得た。稽古場の上がり座敷から若い衆に向かって送るアドバイスに耳を傾けてみると、優勝経験を云々言われながらも、同氏がなぜ綱を張ることができたのか、分かったような気がした。
「上手を取られた瞬間は相手の動きが一瞬、止まるんだ。その瞬間に出てみろ。一気にいけるぞ」
攻めあぐむ力士は目から鱗が落ちたような表情を見せた。黙々とスクワットをこなす別の力士には「親指に力を入れるんだ。そうすれば、立ち合いのスピードがつく」と助言を添えた。
「相撲の動作はすべて理にかなっている。完全な人間工学ですよ」と達観したような言葉は、鍛錬に次ぐ鍛錬で相撲の奥義に触れることができた限られた者からしか出てこないであろう。
決して声を荒らげることなく稽古場の隅々まで目を配り、若手もベテランも関係なく一人ひとりに淡々と声を掛ける元横綱に、当時レッテルを貼られた“稽古嫌い”というイメージは全く結びつかない。
「師匠がいるので、そんなに顔を出すわけにはいかない。できるだけ協力はしたいけど、遠慮しないといけないところもありますから」と一線を引いてはいたが、滲み出る相撲愛は抑えようがない。
「あのどん欲さを勉強してほしい」と北尾氏が部屋を超えて絶賛する力士がいた。奇しくものちに数々のトラブルを起こすことになる横綱だが、もちろん当時は知る由もなかった。
<続く>