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「もうスクープ競争はやめてください」伝説の貴花田・宮沢りえ婚約会見から“似顔絵だけ”松井秀喜まで「なぜアスリートは結婚式を公開しなくなった?」
posted2024/03/09 11:05
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
JIJI PRESS
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「けが人も出た」貴花田・宮沢りえの婚約
1992年10月26日、翌月からの大相撲11月場所の番付が発表されたその夜、テレビ朝日系の『ニュースステーション』が、関脇・貴花田(のちの横綱・貴乃花)と俳優の宮沢りえが婚約したと第一報を伝えた。片や先の9月場所で2度目の幕内優勝を果たし、相撲界に旋風を巻き起こしていた若手力士と、片や前年に出したヌード写真集がベストセラーとなるなど常に話題の中心にあったトップアイドルというビッグカップルの誕生に、日本中が沸き返る。
それからというもの、マスコミは二人を追いかけ続ける。あまりの取材の過熱ぶりに、貴花田の父親で師匠の藤島親方(元大関・貴ノ花)は「嘘はつかないし、聞かれたことには答える。だから二人のプライベートのほうはあまり追いかけないでいただきたい」と申し入れるほどであった。
それでも取材攻勢はエスカレートするばかりで、二人の乗った車を追いかけて壮絶なカーチェイスが繰り広げられ、ついには報道陣の車両がけが人を出してしまう。ここにいたって、相撲協会トップの出羽海理事長(元横綱・佐田の山)はマスコミ各社宛てに正式な取材自粛要請を出さざるをえなかった。藤島親方も一時は婚約会見の中止を本気で考えたという。
それでも場所後の11月27日、二人の婚約会見がホテルニューオータニで行われた。集まった600人の報道陣を前に、貴花田は「二人の気持ちを大事に自分たちの意志を通すような家庭にしたい」と語った。しかし、その思いとは裏腹に、このあと二人は大人の事情に翻弄されることになる。
「自分の愛情がなくなりました」発言の真相
1993年1月10日発売の『文藝春秋』2月号のインタビューで、宮沢は仕事はやめるのかと問われ、《それは未定というか、いつかは発表しようと思っているんですけどね……。決めなくちゃいけないんでしょうね》と逡巡をうかがわせた。