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「履歴書が書けないんです」日大アメフト部“悪質タックル”の元監督、内田正人のいま 本人が明かす「追放された監督」のその後
posted2024/03/09 17:00
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph by
Yuki Suenaga
取材に応じた理由
――なぜ取材に応じようと思ったのでしょうか。
まず、勘違いされているところがあると思ったんです。自分は辞めた身ですし、これまでのことを語るのも馬鹿らしいかなと思うところがあったんですが、私が指導していた時期に感じていたことは今回の廃部決定の引き金となった大麻の問題にもつながる部分がある。ただタックルの問題から大麻の問題に至るまでの経緯を世間の皆さんに間違えられると困るなと思いまして、ここらへんで、ある程度本当のことを言っとかないと、と。
――まず、監督を辞めた後も日大の騒動は続き、マスコミが殺到していました。その時は取材には応じてきませんでしたよね?
当時マスコミはほぼほぼ毎日来ました。家の前に駐車場があって、多いときに20人ぐらいそこにいたと思います。それでまず、家内とか親がまいっちゃって、僕が出ない時は今95歳なんですけど、父親が対応していました。家族みんな溜め込むタイプなので、僕が何か言われるということはなかったですけど、父も母もあれを契機に一気にすごく老け込んだなと思います。家内は円形脱毛症になりました。実家から出ている子どもも途中までは来てくれたんですけど、マスコミが多いので帰ると言って、その後はなかなか帰ってきてくれなくなった。年末年始に集まることもなくなりました。
――外出はほぼ出来ない状況?
近くのスーパーとかユニクロだって行けなくなったんです。もちろん引っ越そうと考えました。ただ、その更地になった土地だって、近所の人に聞けば「昔、日大のタックル問題の時の監督の……」といえば、その土地に紐づく形で差別のような現象が起き、それが続く。差別って人から人への伝承で土地や職業についたものじゃないですか。一度貼られたレッテルというのはネットでは消えないし、今のマスコミはSNSや電波を通じてそういった新しい差別を生み出していると思います。だけれども、その記事を欲しがっているのは我々なんですよ。
俺もこういったマスコミの報道を欲していた
――読者である内田さん自身ということですか?